三、左氏伝・尚書マスター
3.
燮體器寬厚,謙虛下士,中國士人往依避難者以百數。耽玩春秋,為之注解。陳國袁徽與尚書令荀彧書曰:「交阯士府君既學問優博,又達於從政,處大亂之中,保全一郡,二十餘年疆埸無事,民不失業,羇旅之徒,皆蒙其慶,雖竇融保河西,曷以加之?官事小闋,輒玩習書傳,春秋左氏傳尤簡練精微,吾數以咨問傳中諸疑,皆有師說,意思甚密。又尚書兼通古今,大義詳備。聞京師古今之學,是非忿爭,今欲條左氏、尚書長義上之。」其見稱如此。
(訳)
士燮は器量が大きく温厚、
謙虚で士にへり下り、
中国の士人で、彼のもとへ往き
頼ってくる避難者が百数に及んだ。
「春秋」を愛好して読み耽り、
注解を為した。
陳国の袁徽は
尚書令の荀彧に書状を与えて述べた。
「交阯の士府君は学問に博く優れ、
一方で政治にも熟達し、
大乱の中に処して一郡を保全し
二十余年も境域は平穏無事であり、
民が失業することもなく
羇旅の徒(旅人、ここでは流民の意か)
もみなその慶福を蒙り、
竇融が河西を保った(故事)と雖も
どうしてこれに優りましょうか。
官の仕事が少しでも闋じれば
(仕事の僅かな合間に)
その都度書伝を玩習し、
春秋左氏伝においては
尤も(最も)簡潔明瞭、精緻であり
吾が幾度か伝中の
諸々の疑問点を諮問すると、
全てに師説が有り、
意思は甚だ緻密にございました。
また、尚書の古今にも通暁しており
大義を詳らかに備えております。
聞けば京師では古今の学問、
その是非について忿爭(激論)が
交わされているそうですが
今、左氏伝と尚書の(士燮の)すぐれた義を
箇条書きにして上奏いたします」
彼が称揚される様はかくの如くであった。
(註釈)
関羽、李典、杜預、そして士燮。
みんな左氏伝好きすぎだぜ。
袁徽は陳国の袁氏だから
袁滂とか袁渙とかの系列で
袁紹や袁術の汝南袁氏とは祖先が同じぽい。
中原の戦乱を避けて交州に来てるぽい。
荀彧と連絡取ってるのは
豫州名士層のヨコのネットワークかな。
魏書十五に出てきた
梁習なんかも陳の出身です。
時期的にはいつ頃だろう。
荀彧伝を参照してみると、
献帝を許に迎えてから(荀彧が)
漢の侍中・守尚書令に任じられてるから
196年前後かな。
士燮は避難民を拒まずに受け入れており
劉巴や許靖なんかも身を寄せていた事がある。
去ろうとする者を追う様子も見られない。
少なくとも彼は
天下に覇を唱えるっていう
感じのスタンスではない。




