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註二、必ず除くぞ馬の小僧
註釈の山陽公載記です。
「山陽公」は退位した献帝のことです。
註2.
山陽公載記曰:初,曹公軍在蒲阪,欲西渡,超謂韓遂曰:「宜於渭北拒之,不過二十日,河東穀盡,彼必走矣。」遂曰:「可聽令渡,蹙於河中,顧不快耶!」超計不得施。曹公聞之曰:「馬兒不死,吾無葬地也。」
(訳)
当初、曹公の軍は蒲阪に在り
黄河を西に渡ろうとした時、
馬超が韓遂に向かって言った。
「渭北に於いて(曹軍を)防ぐのが妥当です。
二十日を待たずに河東の食糧は尽き
彼は必ず逃げ出しましょう」
韓遂が言った。
「自由に渡らせてやるべきだ。
(曹操が)河中で窮するのを見るのも
愉快ではないか!」
馬超の計画は採用されなかった。
曹公はこれを聞いて言った。
「馬の小僧めが死ななければ、
私には葬られる土地もないではないか」
(註釈)
馬超は孫策・周瑜・法正なんかと
同年代にあたるので
曹操から見ると小僧なんですね。
(20歳くらい年下です)
韓遂は曹操よりも上の年代で
この時70歳前後だと思われます。
演義ではかなり若返っており
潼関の戦いの時の韓遂は
40歳くらいという設定になっています。




