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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、馬超伝
39/603

註二、必ず除くぞ馬の小僧

註釈の山陽公載記です。

「山陽公」は退位した献帝のことです。

註2.

山陽公載記曰:初,曹公軍在蒲阪,欲西渡,超謂韓遂曰:「宜於渭北拒之,不過二十日,河東穀盡,彼必走矣。」遂曰:「可聽令渡,蹙於河中,顧不快耶!」超計不得施。曹公聞之曰:「馬兒不死,吾無葬地也。」

(訳)

当初、曹公の軍は蒲阪ほはんに在り

黄河を西に渡ろうとした時、

馬超が韓遂に向かって言った。


渭北いほくに於いて(曹軍を)防ぐのが妥当です。

二十日を待たずに河東の食糧は尽き

彼は必ず逃げ出しましょう」


韓遂が言った。


「自由に渡らせてやるべきだ。

(曹操が)河中で窮するのを見るのも

愉快ではないか!」


馬超の計画は採用されなかった。


曹公はこれを聞いて言った。


「馬の小僧めが死ななければ、

私には葬られる土地もないではないか」



(註釈)

馬超は孫策そんさく周瑜しゅうゆ法正ほうせいなんかと

同年代にあたるので

曹操から見ると小僧なんですね。

(20歳くらい年下です)


韓遂は曹操よりも上の年代で

この時70歳前後だと思われます。


演義ではかなり若返っており

潼関の戦いの時の韓遂は

40歳くらいという設定になっています。

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