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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、馬超伝
38/603

二、馬超、許褚にビビる

2.

超旣統衆,遂與韓遂合從,及楊秋、李堪、成宜等相結,進軍至潼關。曹公與遂、超單馬會語,超負其多力,陰欲突前捉曹公,曹公左右將許褚瞋目眄之,超乃不敢動。曹公用賈詡謀,離間超、遂,更相猜疑,軍以大敗。


(訳)

馬超は(馬騰の)軍勢を統合し終えると

かくて韓遂と合従しつつ

楊秋ようしゅう李堪りかん成宜せいぎらと互いに結び

進軍して潼関どうかんに至った。


曹公はひとり馬に乗り韓遂・馬超と会談した。

馬超はその剛力を恃んで

密かに組み倒して曹公を捕らえようとしたが

曹公の側近の許褚きょちょ

目を見開いてこれを睨んでいたため

馬超は思い切って行動に移せなかった。


曹公は賈詡かくはかりごとを用いて

韓遂と馬超を離間させたため

両者は互いに猜疑し合い、

その軍は大敗を喫した。


(註釈)

鄴に家族がいるにも関わらず

馬超は反乱を起こしてしまいました。


張既伝の引く「魏略」によると

馬超は父の仇敵だった韓遂に

こんな風に言ったそうです。


「鍾司隷校尉(鍾繇)は私に、あなたを

捕まえるように命じてきました。

関東の人間は信用できません。

私は今から父を捨てて

あなたを父と仰ぎます。

あなたも子を捨てて、

私を子だと思ってください」


曹操の下にいたら

いずれ殺されると考えた馬超は

馬騰を見捨てることにしたのです。


三国志演義ではこの順序が逆になっています。


馬騰が謀反を起こそうとしたのが露見して

曹操に一家もろとも殺されてしまい、

ただ一人生き延びた馬岱ばたい

西涼の馬超へと報告して、

馬超が曹操に対して復讐戦を

挑んでくる形に翻案されています。


あとあと劉備の味方になる男が

「不義理な反逆者」だと

物語的に都合が悪いのでしょう。


曹操の本紀、「武帝紀」では

211年、曹操は鍾繇を派遣して

漢中の張魯を討伐しようとしますが

関中の軍閥は自分たちを討ちに来たのではと

驚いて、反乱を起こしたとされています。


「許褚伝」によると

曹操は黄河を渡ろうとして

先に兵を移動させて

自身は許褚と護衛百人と

南岸に留まっているところを

馬超の一万に強襲されたとあります。


曹操はすんでのところまで

追い詰められましたが、

ここは許褚が力戦して

曹操を守り抜きました。


そののち、曹操と会談した際

許褚の迫力にビビって

動けなかった馬超。

この戦いのMVPは許褚かもしれません。


馬超側の伝で、馬超の勇戦ぶりに

全く触れてないのが少し違和感ですが。


ここで書かれている

賈詡かくの離間の策の内容は、

訂正した箇所がたくさんある手紙を

韓遂に送って、あたかも

韓遂自身が手紙を捏造したかのように

馬超に見せかけ、疑念を煽るというものでした。


結局馬超は曹操に勝利を収めることはできず

この後、謀反の罪に連座して

馬騰らは処刑されました。

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