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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十五、張旣伝
350/603

註四、司馬懿が来るまで待とう

註4.

魏略曰:儒字俊林,夏侯尚從弟。初為鄢陵侯彰驍騎司馬,宣王為征南將軍,都督荊、豫州。正始二年,朱然圍樊城,城中守將乙脩等求救甚急。儒進屯鄧塞,以兵少不敢進,但作鼓吹,設導從,去然六七里,翱翔而還,使脩等遙見之,數數如是。月餘,及太傅到,乃俱進,然等走。時謂儒為怯,或以為曉以少疑衆,得聲救之宜。儒猶以此召還,為太僕。


(訳)

「魏略」にいう、

夏侯儒かこうじゅは字を俊林しゅんりんといい、

夏侯尚かこうしょうの従弟である。


初めは鄢陵えんりょう曹彰(そうしょう)驍騎ぎょうき司馬しばとなり、

宣王が征南将軍、荊州・豫州の都督に任命した。


正始二年(241)、

朱然しゅぜんが樊城を囲むと

城中の守将の乙修らは

大至急の救援を要請した。


夏侯儒は進軍してとうとりでに駐屯したが

兵が少ない事から敢えて進もうとせず

ただ鼓吹を作して

先導と従者を設置するのみで

朱然から去ること六から七里で

翱翔(旋回)して引き返してしまい

乙修らに遥かにこれを眺めさせ、

何度もこのような事をした。


一月余りで太傅(司馬懿)が至るに及んで

やっと倶に進軍し、朱然らは逃走した。


当時、夏侯儒は怯懦と言われたが、

少なきを以て多きを疑わせる事に

明るい、と見なす者もいた。


夏侯儒はなおこの手柄で召還されて

太僕たいぼくとなった。


(註釈)

曹叡そうえいが亡くなったあとに

孫権そんけんが攻め込んできた芍坡しゃくはの戦役です。


晋書宣帝紀ですでにやりました。


「初為鄢陵侯彰驍騎司馬,宣王為征南將軍,都督荊、豫州」

「初為鄢陵侯彰驍騎,司馬宣王為征南將軍,都督荊、豫州」


↑もしかして、標点こうじゃないの?


「驍騎司馬」って役職聞いたことないし

「司馬宣王」なのかもしれない。


ちくまの註だと「宣王」の部分は

なにかの書き間違いであると断じています。


魏に宣王って諡の人いたっけ?

書き間違いでないとしたら

やっぱり司馬宣王って

司馬懿の事だと思うのですが……。


ところが、そのあとで司馬懿のこと

太傅たいふ」と書いているので……

やっぱり違うのかな。


王の為に征南将軍を宣べて、宣揚して……

だと意味わからんし、謎です。


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