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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、張飛伝
34/603

五、あっけない最期

5.

初,飛雄壯威猛,亞於關羽,魏謀臣程昱等咸稱羽、飛萬人之敵也。羽善待卒伍而驕於士大夫,飛愛敬君子而不恤小人。先主常戒之曰:「卿刑殺旣過差,又日鞭檛健兒,而令在左右,此取禍之道也。」飛猶不悛。先主伐吳,飛當率兵萬人,自閬中會江州。臨發,其帳下將張達、范彊殺飛,持其首,順流而奔孫權。飛營都督表報先主,先主聞飛都督之有表也,曰:「噫!飛死矣。」追謚飛曰桓侯。長子苞,早夭。次子紹嗣,官至侍中尚書僕射。苞子遵為尚書,隨諸葛瞻於緜竹,與鄧艾戰,死。


(訳)

当初、張飛の勇猛さが

関羽に次ぐものであったので

魏の謀臣の程昱ていいくらは

関羽と張飛が一万人を相手にできると

称賛を寄せていた。


関羽は兵卒を好遇したが

士大夫に対して驕傲で

張飛は君子を敬愛していたが

小人を憐れむことがなかった。


先主は常にこれを戒めて言った。


「君は刑罰で人を殺しすぎる。

また、毎日のように元気な者を鞭打って

それを左右に侍らせている。

これはわざわいを招くやり方だぞ」


張飛はなお改めなかった。


先主の呉征伐にあたって

張飛は万の兵を統率して

自ら閬中ろうちゅうを出て江州で落ち合おうとした。


出発に臨んで、

その配下の将張達(ちょうたつ)范彊はんきょうが張飛を殺し

その首を持って長江を伝い

孫権のもとへ出奔した。


張飛の軍営の都督が

上表して先主に報告すると

先主は張飛の都督から

上奏文が届いたと聞いて言った。


「ああ! 張飛が死んだ」


(後年になってから)

張飛にかん侯を追謚した。

長子の張苞ちょうほうは夭折していたため

次子の張紹ちょうしょうが後を継ぎ

官位は侍中じちゅう尚書僕射しょうしゃぼくやに登った。


張苞の子の張遵ちょうじゅん尚書しょうしょとなり

諸葛瞻しょかつせん(諸葛亮の子)に従って

緜竹で鄧艾とうがいと戦い、戦没した。


(註釈)

かつて兄と呼んだ男の弔い合戦のため


……かどうかはわかりませんが、

いざ呉攻めを前にして、

張飛はあっけない最期を遂げました。


張飛はいつも自身で劉備に

報告へ来るため、

張飛でなく部下が報告に来たと聞いて

劉備は張飛の死を悟ったとか。



関羽は上を侮り下に優しく

張飛は上に諂い下に厳しい

二人のこうした欠点が

身の破滅を招いたとして

三国志の著者陳寿は

両者の評を締めくくっています。


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