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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、張飛伝
32/603

三、張飛対張郃

214年に益州を平定した劉備、

215年漢中を平定した曹操、

両雄の激突は必至です。


張飛は巴において張郃ちょうこうと戦います。

3.

曹公破張魯,留夏侯淵、張郃守漢川。郃別督諸軍下巴西,欲徙其民於漢中,進軍宕渠、蒙頭、盪石,與飛相拒五十餘日。飛率精卒萬餘人,從他道邀郃軍交戰,山道迮狹,前後不得相救,飛遂破郃。郃棄馬緣山,獨與麾下十餘人從間道退,引軍還南鄭,巴土獲安。


(訳)

曹公が張魯を破ると、

夏侯淵かこうえん張郃ちょうこうを留めて漢川を守らせた。


張郃は別に諸軍を指揮して巴西を降し

その民を漢中に移そうとして

宕渠とうきょ蒙頭もうとう盪石とうせきに進軍し

張飛と互いに防ぎ合うこと五十余日に及んだ。


張飛は精兵一万余を率いて

他の道より張郃の軍を迎撃して交戦したが

山道が狭く、張郃の軍は前後が互いに

助け合うことができなかった。

かくして張飛は張郃を破った。


張郃は馬を棄てて山に沿って

ただ麾下の十余人だけを連れて

間道を抜けて退却し

軍を退いて南鄭へ帰還した。

巴の地は平穏を取り戻した。


(註釈)

曹操から逃げ回ってばかりの

劉備でしたが、荊・益の二州を領し

ようやくまともに曹軍と

交戦できるようになります。


益州平定後に巴西はせいの太守となった張飛は

曹操が漢中の抑えとして配置した

張郃ちょうこうと激突します。




張郃伝によると

張郃は巴西・巴東はとうの二郡を降し

住民を漢中に移すことには成功したものの

宕渠とうきょで張飛の抵抗に遭い

漢中まで撤退したとあります。


張飛は隘路あいろを利用して

張郃の軍勢を分断して倒しています。


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