三、張飛対張郃
214年に益州を平定した劉備、
215年漢中を平定した曹操、
両雄の激突は必至です。
張飛は巴において張郃と戦います。
3.
曹公破張魯,留夏侯淵、張郃守漢川。郃別督諸軍下巴西,欲徙其民於漢中,進軍宕渠、蒙頭、盪石,與飛相拒五十餘日。飛率精卒萬餘人,從他道邀郃軍交戰,山道迮狹,前後不得相救,飛遂破郃。郃棄馬緣山,獨與麾下十餘人從間道退,引軍還南鄭,巴土獲安。
(訳)
曹公が張魯を破ると、
夏侯淵・張郃を留めて漢川を守らせた。
張郃は別に諸軍を指揮して巴西を降し
その民を漢中に移そうとして
宕渠、蒙頭、盪石に進軍し
張飛と互いに防ぎ合うこと五十余日に及んだ。
張飛は精兵一万余を率いて
他の道より張郃の軍を迎撃して交戦したが
山道が狭く、張郃の軍は前後が互いに
助け合うことができなかった。
かくして張飛は張郃を破った。
張郃は馬を棄てて山に沿って
ただ麾下の十余人だけを連れて
間道を抜けて退却し
軍を退いて南鄭へ帰還した。
巴の地は平穏を取り戻した。
(註釈)
曹操から逃げ回ってばかりの
劉備でしたが、荊・益の二州を領し
ようやくまともに曹軍と
交戦できるようになります。
益州平定後に巴西の太守となった張飛は
曹操が漢中の抑えとして配置した
張郃と激突します。
張郃伝によると
張郃は巴西・巴東の二郡を降し
住民を漢中に移すことには成功したものの
宕渠で張飛の抵抗に遭い
漢中まで撤退したとあります。
張飛は隘路を利用して
張郃の軍勢を分断して倒しています。




