八、継嗣その後
8.
長子緝,有攸風,早沒。次子適嗣,無子,絶。黃初中,紹封攸孫彪爲陵樹亭侯,邑三百戸,後轉封丘陽亭侯。正始中,追諡攸曰敬侯。
(訳)
長子の荀緝には
荀攸の風采(面影)が有ったが
早くに没してしまった。
次子の荀適が嗣いたが、
子は無く、家系は断絶した。
黄初年間中(220〜226)に
荀攸の孫の荀彪が封爵を紹いで
陵樹亭侯となり、食邑は三百戸だった。
後に丘陽亭侯に転封された。
正始年間中(240〜249)に
荀攸に敬侯の位が追謚された。
(註釈)
荀彧の系譜は活躍しましたが
荀攸の系譜は……。
これにて荀攸伝を終わります。
最後に、ワシの個人的な荀攸評です。
・戦闘 ★★★★★★★ 7
曹操に随行して各地を転戦。
前線で計策を練り続け、
董卓を刺し殺そうと考えていたり
文醜を討ち取ったように
書かれているなど、
荀彧と比べるとかなり実戦型です。
・戦略 ★★★★★★★★★ 9
張繍への対応、呂布への水攻め、
文醜への陽動作戦、
烏巣の戦における真贋の見極め、
袁譚・袁尚…………と
中原平定では数々の計略を打ち出してます。
この時代の最強軍師の一角として
間違いなく候補に挙がるでしょう。
赤壁・潼関あたりでは荀彧同様
出番が激減してしまっていますが、
荀攸は魏公就任に関しては
どういうスタンスだったのか不透明です。
・内政 ★★★★★★★ 7
曹操の幕下に参入する際に
汝南太守には任命されてますが
治績をあげた描写が
イメージほどにはありませんでした。
法正が★8なので、
1つ下の★7とします。
・人格 ★★★★★★★★ 8
「愚図に見えるが知恵者、
臆病に見えて勇敢、
ひ弱に見えて強か、
彼の智には及べても
その愚に及ぶことはできまい」
名文句です。
実際董卓に捕まっても
まるで意に介していない
剛胆ぶりに、その片鱗が
現れているような気がします。
司馬懿ほどじゃなくても
計算して君子を演じているような
そんな匂いを僅かに感じましたが、
それを踏まえてなお、
人格者と見なすことが出来ます。
曹操の覇道を支える外柔内剛、
失策0の敏腕軍師、荀攸伝でした。




