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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十、荀彧伝
295/603

註十一、荀家の先達

註11.

荀氏家傳曰:衍字休若,彧第三兄。彧第四兄諶,字友若,事見袁紹傳。陳羣與孔融論汝、潁人物,羣曰:「荀文若、公達、休若、友若、仲豫,當今並無對。」衍子紹,位至太僕。紹子融,字伯雅,與王弼、鍾會俱知名,爲洛陽令,參大將軍軍事,與弼、會論易、老義,傳於世。諶子閎,字仲茂,爲太子文學掾。時有甲乙疑論,閎與鍾繇、王朗、袁渙議各不同。文帝與繇書曰:「袁、王國士,更爲脣齒,荀閎勁悍,往來銳師,真君侯之勍敵,左右之深憂也。」終黃門侍郎。閎從孫惲字景文,太子中庶子,亦知名。與賈充共定音律,又作易集解。仲豫名恱,朗陵長儉之少子,彧從父兄也。張璠漢紀稱恱清虛沈靜,善於著述。建安初爲祕書監侍中,被詔刪漢書作漢紀三十篇,因事以明臧否,致有典要;其書大行於世。


(訳)

荀氏家伝じゅんしかでんにいう、

荀衍じゅんえんは字を休若きゅうじゃくといい、

荀彧の三番目の兄である。


荀彧の四番目の兄は

荀諶じゅんしん、字を友若ゆうじゃくといい、

事績は「袁紹伝」に見える。


陳羣ちんぐん孔融こうゆう

じょ潁川えいせんの人物を論じた際に

陳羣はこのように述べていた。


「荀文若(荀彧)、公達こうたつ荀攸じゅんゆう)、

休若、友若、仲豫ちゅうよ荀悦じゅんえつ)は

当世で並ぶ者がおらんな」


荀衍の子は荀紹じゅんしょうといい、

位は太僕たいぼくまで至った。


荀紹の子は荀融じゅんゆう、字を伯雅はくがといい、

王弼おうひつ鍾会しょうかいとともに名を知られた。

洛陽令・参大将軍軍事となり、

王弼・鍾会とともに

易経や老子について議論した事が

世に伝えられている。


荀諶の子は荀閎じゅんこう、字を仲茂ちゅうもといい、

太子(曹丕?)の文学掾となった。


当時、甲乙つけ難い議論があり

荀閎は鍾繇しょうよう王朗おうろう袁渙えんかん

それぞれ異議を申し立てた。


文帝(曹丕)は鍾繇に書状を与えて述べた。


「袁渙・王朗は国士であり、

更に(朝廷において)唇と歯を為している。


荀閎のつよく精悍な様は

往来する精鋭の師団のようで、

真に君侯(鍾繇)を脅かす敵にして

左右の者の深き憂いであるのう」


最終的に(荀閎は)黄門侍郎こうもんじろうとなった。


荀閎の従孫の荀輝じゅんきは字を景文けいぶんといい、

太子の中庶子としてまた名を知られた。


賈充かじゅうとともに音律を定め、

一方で易経の集解しっかいを作成した。


仲豫は名を悦といい、

朗陵ろうりょうの長・荀倹じゅんけんの少子で、

荀彧の従父兄であった。


張璠ちょうはんの「漢紀」では

荀悦は清らかで虚心を抱き

冷静沈着で、著述を善くした。


建安の初頭(196〜)に

秘書監侍中ひしょかんじちゅうとなり、

詔勅を被りて「漢書」を刪修し、

「漢紀」三十篇を作成した。


事実に基づいて

臧否(良し悪し)を明らかにし、

典麗にして要点を押さえていたため

この書物は大いに世に流行した。



(註釈)

みんなすごいよ荀家。


甥の荀攸の方が年上な事から

なんとなく察せますが、

荀彧は末っ子っぽい雰囲気です。

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