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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十、荀彧伝
293/603

註十、ずんいくのお陰です

註10.

彧別傳載太祖表曰:「臣聞慮爲功首,謀爲賞本,野績不越廟堂,戰多不踰國勳。是故典阜之錫,不後營丘,蕭何之土,先於平陽。珍策重計,古今所尚。侍中守尚書令彧,積德累行,少長無悔,遭世紛擾,懷忠念治。臣自始舉義兵,周游征伐,與彧勠力同心,左右王略,發言授策,無施不效。彧之功業,臣由以濟,用披浮雲,顯光日月。陛下幸許,彧左右機近,忠恪祗順,如履薄冰,研精極銳,以撫庶事。天下之定,彧之功也。宜享高爵,以彰元勳。」彧固辭無野戰之勞,不通太祖表。太祖與彧書曰:「與君共事已來,立朝廷,君之相爲匡弼,君之相爲舉人,君之相爲建計,君之相爲密謀,亦以多矣。夫功未必皆野戰也,願君勿讓。」彧乃受。


(訳)

荀彧別伝に掲載されている

太祖の上表文にいう、


「臣は、遠慮を功績の第一に、

深謀を恩賞の根本とし、

野績(武功)は廟堂を越えず、

戦の多きは国勲を踰えぬと

聞き及んでおります。


こうした理由から、

曲阜きょくふの賞賜を営丘えいきゅうの後とせず、


(※周の武王が、身内の周公旦よりも

謀主の太公望を功績第一とした故事)


蕭何しょうかの封土は平陽へいように先んじたのです。


(※漢の高祖・劉邦が

歴戦を経た平陽へいよう侯・曹参そうしんよりも、

後方支援の蕭何を功績第一とした故事)


計策を珍重する事は

古今でとうとばれるものです。


侍中じちゅう尚書令(しょうしょれい)の荀彧は

徳行を累積してまいります事

少き頃より長じておりまして、

悔い入る事がなく、

紛擾ふんじょうの世に遭遇して忠義を抱き、

(安定した)治世を想念してまいったのです。


臣は初めて義兵を挙げてより、

周遊して征伐に当たり、

荀彧と力を合わせ、心を同じくして

王の計略を左右(恃み)とし、

彼の発した言辞、授けた策謀は

実施して効果を現さぬ事がありません。


荀彧の功業があってこそ

臣は事を成し遂げられまして、

(荀彧という傑出した謀臣を)

用いる事で浮雲を打ちはらい、

日月の光を顕らかにする事ができました。


陛下が許に御幸みゆきなされてから

荀彧は左右の機軸に近侍し、

忠勤で恭しく、敬順である様は

薄氷を踏むかの如く(慎重)であり、

極めて鋭敏に研精して

諸事を安撫してまいりました。


天下が定まった事は

荀彧の功績にございます。


宜しく高き爵位を

(荀彧に)享けさせまして

元勲を彰らかになさるべきです」


荀彧は(自分には)

野戦の労が無いものとして固辞し、

太祖の上表を通さなかった。


太祖は荀彧に書状を与えて述べた。


「君とともに事業を共同して以来、

朝廷に立ちて、君が補佐した事、

君が推挙した人材、君が建てた計略、

君による密謀は、また、

なんと多かった事だろうか。


そもそも、功績というものは

必ずしも全てが

野戦によるものとは限らんだろう。


どうか、君には譲らないでほしい」


荀彧はそこで、ようやく受けた。


(註釈)

周武王、太公望、周公旦、

劉邦、蕭何、曹参と

ビッグネームを引き合いに出して

荀彧の功績を褒め称える曹操。



恋人の自慢話を聞いてるかのようで

訳してて変な笑いがこみ上げてきました。


こんなに荀彧ラブなのにねぇ…………。

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