三、曹操を叱る荀彧
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陶謙死,太祖欲遂取徐州,還乃定布。彧曰:「昔高祖保關中,光武據河內,皆深根固本以制天下,進足以勝敵,退足以堅守,故雖有困敗而終濟大業。將軍本以兖州首事,平山東之難,百姓無不歸心恱服。且河、濟,天下之要地也,今雖殘壞,猶易以自保,是亦將軍之關中、河內也,不可以不先定。今以破李封、薛蘭,若分兵東擊陳宮,宮必不敢西顧,以其閒勒兵收熟麥,約食畜穀,一舉而布可破也。破布,然後南結揚州,共討袁術,以臨淮、泗。若舍布而東,多留兵則不足用,少留兵則民皆保城,不得樵採。布乘虛寇暴,民心益危,唯鄄城、范、衞可全,其餘非己之有,是無兖州也。若徐州不定,將軍當安所歸乎?且陶謙雖死,徐州未易亡也。彼懲往年之敗,將懼而結親,相爲表裏。今東方皆以收麥,必堅壁清野以待將軍,將軍攻之不拔,略之無獲,不出十日,則十萬之衆未戰而自困耳。前討徐州,威罰實行,其子弟念父兄之恥,必人自爲守,無降心,就能破之,尚不可有也。夫事固有棄此取彼者,以大易小可也,以安易危可也,權一時之勢,不患本之不固可也。今三者莫利,願將軍熟慮之。」太祖乃止。大收麥,復與布戰,分兵平諸縣。布敗走,兖州遂平。
(訳)
陶謙が死ぬと、太祖はかくて
徐州を攻め取ろうとしたが、
(陳宮と張邈の反乱が起きたために)
帰還し、そこで呂布の平定に向かった。
荀彧は言った。
「昔、高祖は関中を保ち、
光武帝は河内に據ったことで
いずれも根を深く下ろして
基礎を固める事によって天下を制しました。
進んでは敵に勝利し
退いては堅守し足りえたために
敗北の困苦に遭っても、最終的に
大業を成し遂げる事ができたのです。
将軍は本来より
兗州を根本として事業を主宰し、
山東の兵難を平定して、百姓のうちで
喜んで帰服せぬ者はおりません。
かつ、黄河・済水は
天下の要衝となる地勢にございます。
今や壊滅していると申しましても
なお自ら保つ事は容易でございまして
これもまた、将軍にとっての
関中・河内に当たるのです。
最優先で安定させねばなりません。
今、李封・薛蘭(呂布の部下)を破った上で
もし兵を分けて東へ陳宮を撃たば、
陳宮は間違いなく西を顧慮できますまい。
その間に兵を整えて成熟した麦を収集し、
食糧を節約して穀物を蓄積させれば
一挙に呂布を破る事が可能となります。
呂布を破れば、然るのちに
南は揚州と結びて共に袁術を討ちて
淮水・泗水に臨むのです。
もし呂布を捨て置いて東へ行くとなった場合、
兵を多く留めれば則ち用を為せませぬし、
兵を少なく留めても則ち民衆は皆城を保ち、
樵採(薪や柴を採ること)も出来なくなります。
(そうなれば)
呂布は空虚となった兗州に乗じて
侵略や掠奪を行い、民心は益々危ぶまれます。
鄄城・范・衛だけは保てましょうが、
その他の拠点は我々の領有では
なくなってしまいます。
これは、兗州を失ってしまうという事です。
(呂布を放置したまま)
もし徐州を平定できなければ
将軍には帰る所などなくなるのです。
かつ、陶謙が死んだとは申せども
徐州はいまだ容易くは亡ぼせませんぞ。
彼方は往年の敗戦に懲りており、
懼れて親交勢力と結託して表裏を為しましょう、
今東方では麦が皆収穫されておりますから
必ずや壁を堅くし、田野の収穫物を
さっぱり刈り取った上で
将軍を待ち受けるでありましょう。
将軍は攻撃してこれを抜けなければ
略奪しようにも得るものはなく、
十日を過ぎぬうちに十万の軍勢が
自ら困苦してしまうだけです。
以前に徐州を討伐した際に
※厳罰を実行しておりますから、
(※遠回しに、曹操さまは徐州で
人を殺しすぎたよね、と荀彧は言っている)
その子弟は父兄の恥辱を思って
必ずや自ら守らんとして
投降の意などは持たぬでしょう。
これを破ることができたとしても
なお領有し続けることは不可能です。
そもそも、事業を固める際に
こちらを棄てて、あちらを取ることは
大を小に易えることもよし、
安全を危険に易えることもよし、
根本が固まっていない事を考慮せずに
一時の勢いを権ろうとするもよし、
(徐州を攻め続けたところで)
今述べた三つの利はありません。
どうか将軍、このことを熟慮されますように」
太祖はそこで取りやめた。
大いに麦を収穫して再度呂布と戦い、
兵を分けて諸県を平定した。
呂布は敗走し、
かくて兗州は遂に平定された。
(註釈)
荀彧は懇々と説きます。
今呂布を放置して徐州を攻めたら
拠点の兗州の殆どを失ってしまうし、
あなたは徐州の人間を殺しすぎた、
簡単に落とすことはできない。
劉邦は関中、劉秀は河内、
拠点をしっかり固めたからこそ
天下を統一できたのだと。
曹操の徐州虐殺は、屯田の導入と
青州黄巾を養うための耕地を
確保するためだったのではないかと
思えなくもないですが、結局
徐州落とせずに悪評を買っただけでした。
荀彧もこの件で遠回しに曹操を非難してます。
この場面、
荀彧は助言をしているというより
「曹操を叱っている」といったほうが
適切かもしれません。
徐州の侵略にこだわってないで
まずは基礎工事でしょうが、って感じで。
曹操軍の総勢? はこの時点だと
10万と書かれていますね。
192年に曹軍に降伏した青州黄巾は
民100万、兵30万とありましたが
その中から選りすぐった精鋭を
「青州兵」と呼んだそうです。
が、195年前後の蝗害と大飢饉で
自慢の青州兵も数を減らしてそう。




