まとめ
以上で関羽伝はおしまいです。
軽く年表にして
関羽の事績を振り返ってみます。
・???年
故郷の河東解県を出奔し
涿郡で劉備と出会う。
・184年
黄巾の乱が起こる。
恐らく関羽も劉備のもとで戦った
・191〜192年?
劉備の別府司馬となり
別働隊を預かる
・199年
劉備が車冑を殺して小沛で独立。
関羽は下邳に駐屯し、徐州を治めた。
・200年
曹操が東征して劉備を破り
関羽を捕えて偏将軍とする。
関羽は張遼とともに白馬の戦で先鋒となり
敵将顔良の首級を挙げる活躍を見せ
漢寿亭侯に封じられる。
同年内に劉備の元へ帰る。
・208年
荊州牧の劉表が亡くなり、
曹操が荊州へと侵攻する。
劉備は樊から難民を引き連れて逃げ
関羽は劉備と別に船団を牽引し
江陵で合流する手はずだったが
漢津でたまたま逃げる劉備と出くわし
いっしょに夏口へ至った。
・209年?
荊州南部の諸郡を平定するにあたり
関羽は功を立て、襄陽太守・盪寇将軍となる。
・211年
劉璋に招かれ、劉備が蜀に入る。
関羽は諸葛亮や張飛とともに
荊州の抑えを担う。
・213年?
劉備と劉璋の関係が悪化し
諸葛亮・張飛・趙雲らは
益州に呼び寄せられる。
関羽だけが残って荊州を守る。
・214年
劉備が益州を平定し、
関羽は荊州の総督に任じられる。
馬超の来降を聞いた関羽は
諸葛亮に手紙をやって
馬超が誰に比肩する人材か尋ねる。
諸葛亮が返書において
関羽には及ばないと絶賛したため
関羽は大喜びで手紙を賓客に見せる。
・219年
劉備が漢中王となり、
関羽は前将軍に任じられ
節鉞を仮される。
関羽は樊にいる曹仁を攻め、
曹操は于禁を援軍に差し向けるが
秋の長雨で漢水が氾濫したため
七軍は悉く水没し、于禁は関羽に降伏。
龐徳は降伏を拒み、関羽に斬られる。
曹操は遷都を議したが、
司馬懿と蒋済の案を容れて
孫権に関羽の背後を衝かせようと仕向け
関羽と仲の悪かった麋芳と士仁が
孫権を荊州に招き入れる。
関羽は曹操が派遣した徐晃に敗れ
江陵に戻ろうとしたが、
江陵は既に孫権に占領されており
関羽の軍は散開する。
孫権は将を遣り、臨沮で関羽を斬る。
・260年
壮繆侯と諡される。
楽進との戦闘や、魯粛との会談
侯音の反乱なども含めると
もっと詳細になりますが
関羽伝の事績のみをまとめると
こんな感じになります。
関羽は「劉備の爪牙」という
イメージが強いですが
下邳にいたり船で別働隊指揮したり
劉備が益州へ行ってからは
ずっと荊州で孤立していたり
劉備と関羽って基本的に
一緒に行動してる事がかなり少ないです。
これが、関羽を信頼してるからなのか
関羽を煙たがっているからなのかは
わかりません。
ンバの関羽への個人的な評価です。
戦闘 ★★★★★★★★8
程昱や周瑜などの
敵国の名だたる面子が
その強さを高く評価しています。
実際、大軍の中馳せつけて
顔良を討ち取る武勇は凄い。
水軍の指揮もなにげに上手。
楽進、徐晃レベルが相手だと厳しいですが
蜀では屈指の水準と言えそうです。
戦略 ★★★★★5
侯音の反乱を煽動し、
遠方の群盗を味方につける等
決して武勇一辺倒ではありません。
于禁軍が水没した時も、きっちり
船を用意させてある等、手際が良いです。
鼎の足とも言える孫権を侮蔑し、
孫劉同盟を瓦解させてしまったのが
最大のマイナス点。
劉備との連携も上手くいっていません。
内政 ★★★★★★★7
シビアな人事を見せる劉備に
一州の統治を委任されています。
部下の人心掌握はいまいちですが
呂蒙をして、荊州の統治は
よく恩徳が行き届いている、
と言わしめています。
人格 ★★★★★★6
武人肌の人物とは仲が良く
劉備への忠義は曹操を感嘆させました。
心を開いた人物には尽くす反面で
傲慢で人を軽んじるきらいがあり
部下の手綱をうまく握れず
裏切りに遭ってしまいました。
皆様の目には、関羽は
どのような人物に映ったでしょうか。
これにて関羽伝を終わります。




