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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十、荀彧伝
279/603

二、王佐の才、兗州の戦い

2.

彧年少時,南陽何顒異之,曰:「王佐才也。」永漢元年,舉孝廉,拜守宮令。董卓之亂,求出補吏。除亢父令,遂棄官歸,謂父老曰:「潁川,四戰之地也,天下有變,常爲兵衝,宜亟去之,無久留。」鄉人多懷土猶豫,會冀州牧同郡韓馥遣騎迎之,莫有隨者,彧獨將宗族至冀州。而袁紹已奪馥位,待彧以上賔之禮。彧弟諶及同郡辛評、郭圖,皆爲紹所任。彧度紹終不能成大事,時太祖爲奮武將軍,在東郡,初平二年,彧去紹從太祖。太祖大恱曰:「吾之子房也。」以爲司馬,時年二十九。是時,董卓威陵天下,太祖以問彧,彧曰:「卓暴虐已甚,必以亂終,無能爲也。」卓遣李傕等出關東,所過虜略,至潁川、陳留而還。鄉人留者多見殺略。明年,太祖領兖州牧,後爲鎮東將軍,彧常以司馬從。興平元年,太祖征陶謙,任彧留事。會張邈、陳宮以兖州反,潛迎呂布。布旣至,邈乃使劉翊告彧曰:「呂將軍來助曹使君擊陶謙,宜亟供其軍食。」衆疑惑。彧知邈爲亂,即勒兵設備,馳召東郡太守夏侯惇,而兖州諸城皆應布矣。時太祖悉軍攻謙,留守兵少,而督將大吏多與邈、宮通謀。惇至,其夜誅謀叛者數十人,衆乃定。豫州刺史郭貢帥衆數萬來至城下,或言與呂布同謀,衆甚懼。貢求見彧,彧將往。惇等曰:「君,一州鎮也,往必危,不可。」彧曰:「貢與邈等,分非素結也,今來速,計必未定;及其未定說之,縱不爲用,可使中立,若先疑之,彼將怒而成計。」貢見彧無懼意,謂鄄城未易攻,遂引兵去。又與程昱計,使說范、東阿,卒全三城,以待太祖。太祖自徐州還擊布濮陽,布東走。二年夏,太祖軍乘氏,大饑,人相食。


(訳)

荀彧が年少の時、南陽なんよう何顒かぎょう

彼を非凡であると見て、言った。


「王佐の才である」


永漢元年(189)に

孝廉に推挙され、守宮令しゅぐうれいに拝された。


董卓とうたくの乱が起こると、転出して

補吏となる事を求められた。


除亢父じょこうほの令となるも、

遂には官を棄てて帰り、

父老に対して


潁川えいせんは四戦の地でございまして

天下に変事が有らば

常に兵難に見舞われましょう。


速やかにここを立ち去るべきで、

久しく留まってはなりません」


と述べたが、郷里の人の多くは

故地を思慕して猶予いざよっていた。


ちょうど、冀州牧で同郡の出の韓馥かんふく

騎兵を遣わして彼らを迎えたが、

したがう者はなく、荀彧はひとり

宗族を率いて冀州へと向かった。


(冀州では)

袁紹が韓馥から已に位を奪っており、

荀彧は上賓の例によって待遇された。


荀彧の弟の荀諶じゅんしん、及び同郡の辛評しんぴょう郭図かくと

皆袁紹に任用されたが、

荀彧は、袁紹では終には

大事を成し遂げられないとはかった。


この時、太祖(曹操)が

奮武ふんむ将軍として東郡とうぐんに在った。


初平二年(191)、

荀彧は袁紹の下を去り、太祖に従った。


太祖は大喜びして言った。


「我が※子房しぼうである」


※劉邦の参謀、張良のあざな


太祖は荀彧を司馬に任じ、

時に二十九歳であった。


当時は、董卓が威によって

天下をおかしており、

太祖が荀彧にこのことを問うと

荀彧は言った。


「董卓の暴虐ぶりは已に甚だしく、

必ずや動乱の終焉まで

命脈を保てますまい」


董卓は李傕りかくらを遣って関東へ出撃させ、

通過した所で人々を虜にし、略奪を行い、

潁川・陳留ちんりゅうまで至ると、引き返していった。


荀彧の郷里の者で

故地に留まっていた人々の多くは

董卓軍に殺され、掠奪に遭ってしまった。


翌年(192)、

太祖は兗州牧を領し、

後に鎮東将軍に任命され、

荀彧は常に司馬として従軍した。


興平元年(194)、

太祖は陶謙とうけんの征伐に向かい、

荀彧に留守中の事業を任せた。


ちょうど、張邈ちょうばく陳宮ちんきゅう

兗州を以って離反し、

密かに呂布りょふを迎え入れてしまった。


呂布が至ると、張邈はそこで

劉翊りゅうよくを遣わして荀彧へ告げさせた。


「呂将軍が、曹使君の陶謙討伐の

助太刀に来られました。

速やかにそちらの軍糧を供給されますよう」


人々は疑いを抱いたが、

荀彧は張邈が反乱を起こしたのだと察知し、

即座に兵を整え、備えを設けると

早馬によって東郡とうぐん太守の夏侯惇かこうとんを召喚したが、

兗州の諸城は皆、呂布に呼応してしまった。


この時太祖は軍勢の悉くを挙げて

陶謙を攻めていたため、留守の兵は少なく、

督将・大吏の多くが

張邈・陳宮と通謀していた。


夏侯惇が到着すると、その夜のうちに

叛逆を目論んだ者数十人を誅殺し、

人々(の混乱)はそこでようやく収まった。


豫州よしゅう刺史の郭貢かくこう

数万の衆を率いて城下へと来ると、

或る者が「呂布と共謀しておるのでは」と述べ、

人々は甚だ恐懼した。


郭貢が荀彧との会見を求めてくると

荀彧は行こうとしたが、夏侯惇らが言った。


「君は一州の鎮守なのですぞ。

行けば必ずや危険に晒されるでしょう、

行ってはなりませぬ!」


荀彧は言った。


「郭貢と張邈らは、身分からして

素から結託していた訳ではありませんよ。


今、速やかにやって来たのは、間違いなく

計画がいまだに定まっておらぬからです。


彼の計が定まらぬうちに説き伏せれば、

たとえ用いることができないにしろ、

中立の立場を取らせる事は出来ます。


もし、先んじて郭貢を疑ってしまえば

彼はきっと怒り(曹操の味方はしないぞと)、

肚を決めてしまうでしょう」


郭貢は、荀彧に懼れる様子が無いのを見て

鄄城を容易に攻め破る事は出来ないと判断し

かくて兵を引きあげさせ、去って行った。


荀彧はまた、程昱ていいくとともに

范・東阿の説得を計り、

最終的に三城を保全した上で

太祖の到着を待った。


太祖は徐州から帰還して

呂布を濮陽に迎え撃ち、

呂布は東へと遁走していった。


二年(195)夏、

太祖が乗氏に布陣した際に大飢饉が起こり

人々は互いに喰らい合った。



(註釈)

四方に開けた潁川に留まっては

間違いなく戦乱に巻き込まれるとして

荀彧は一族と冀州へと向かいます。


郷里の人々は慣れ親しんだ潁川から

離れることに抵抗があったようで、

留まり続けましたが、

荀彧の危惧した通り、董卓の派兵によって

壊滅させられてしまいました。


董卓の字は「仲潁ちゅうえい」で

弟の董旻とうびんは「叔潁しゅくえい」といいます。


「潁」は兄弟でお揃いなのかな?

と思いきや、兄の董擢とうてき

孟高もうこう」という字です。


父の董君雅とうくんが

潁川郡の尉に就いていたことがあり、

董卓と董旻は潁川で生まれたか

幼少期を潁川で過ごしていたという

可能性が出てきます。

だから字が「潁」なのではないかと。


だとすると、ゆかりのある地で

よく虐殺を働けたもんですね。



冀州へ逃れた荀彧は、

当方の為政者である袁紹から厚遇されます。


少年荀彧のことを

「王佐の才」と称した何顒かぎょう

袁紹のマブダチであり、袁紹一派から

熱烈歓迎を受けていた事が窺えます。


弟や同郡の郭図ら同様に、ここで

袁紹に仕える選択肢もあったのですが、

荀彧は袁紹では大事を成せないと判断。

最終的に曹操の下へ行きます。


孫堅が黄祖に殺された年に

曹操は荀彧を得、

「荀彧こそが俺の張良だ!!」と大喜び。


曹操が戦に出た時には

常に補佐として従軍していたようです。


曹操陣営は、192年に

青州黄巾を取り込みパワーアップ。

193年には袁術に打撃を与え、

南陽から放逐する事に成功しています。

随所で荀彧の献策が光っていた事でしょう。


諸葛亮と司馬懿が戦った五次北伐で

司馬懿のおさえとして派遣された辛毗しんぴ

ここで登場した辛評しんぴょうの弟にあたります。


兗州の戦いは

呂布・張邈伝でも触れました。


父・曹嵩を殺されて怒りに燃える曹操は

全軍を挙げて徐州の陶謙とうけんを攻撃します。


ガラ空きとなった拠点の兗州において

曹操と仲良しだった筈の張邈ちょうばく

突然呂布を抱き込み謀反を起こした事で

人々は混乱しますが、荀彧は

クールに事態を切り盛りしていますね。


急いで戻ってきた曹操は

返す刀で呂布と干戈を交えますが、

折しも蝗害が巻き起こり

戦どころではなくなってしまいます。


結局、呂布を追い払うまでに

1年ほど要してしまいましたが、

荀彧らの活躍で兗州を

奪い返すことに成功しました。


劉邦は漢中、劉秀は河北という

根拠地があったからこそ

天下統一を為せたのであって

ここで兗州を失陥していたら

そのまま曹操は滅亡コース直行でした。


選択のひとつひとつが

存亡に関わる場面でしたが、

荀彧の冷静な判断力が

最終的にものを言いましたね。


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