註五、濡須口の戦い、江表伝ver
註5.
江表傳曰:「曹公出濡須,號步騎四十萬,臨江飲馬。權率衆七萬應之,使寧領三千人爲前部督。權密勑寧,使夜入魏軍。寧乃選手下健兒百餘人,徑詣曹公營下,使拔鹿角,踰壘入營,斬得數十級。北軍驚駭鼓譟,舉火如星,寧已還入營,作鼓吹,稱萬歲。因夜見權,權喜曰:「足以驚駭老子否?聊以觀卿膽耳。」即賜絹千匹,刀百口。權曰:「孟德有張遼,孤有興霸,足相敵也。」停住月餘,北軍便退。
(訳)
江表伝にいう。
曹公は濡須に出撃すると
歩兵・騎兵四十万にて長江に臨み
馬に(江水を)飲ませると号した。
孫権は七万の軍勢を率いてこれに応じ
甘寧に三千人を統領させて前部督とした。
孫権は甘寧に、夜中に魏軍へと
侵入するよう密勅を下した。
甘寧はそこで手下から
健児(壮健な若者)百余人を選り抜き
曹公の軍営下へと向かった。
鹿角(逆茂木)を引き抜かせ、
塁を乗り踰えて陣営へと突入し
(敵兵を)斬り、数十の首級を得た。
北軍(曹操軍)は驚駭し、
鼓譟(太鼓を鳴らす=混乱して大騒ぎ)
してしまい、星の如くに火の手が挙がった。
(その時)甘寧は已に帰還して
自軍の陣営に入っており、
鼓吹をさせて、万歳を称した。
夜になって孫権に見えると、
孫権は喜んで言った。
「老子(曹操のじじい)を
驚駭させるには十分であったかな?
聊か、卿の胆力を観せてもらった」
孫権は即座に
絹千匹・刀百口を下賜して、言った。
「孟徳に張遼が有るならば
孤には興覇(甘寧)が有る。
互いに匹敵するに足る存在なのだ」
停留すること一月余りで、
北軍は速やかに撤退した。
(註釈)
孫権の有名なセリフです。
「曹操に張遼がいるなら
俺には甘寧がいる!」
江表伝由来なのは知りませんでした。
本文から受けた印象では、
孫権は甘寧をそこまで
大事に扱っていないような……。
生きてるのが不思議なくらい
ムチャな役ばかりやらせています。
張遼は合肥の戦で、
たったの800人で、
孫権の10万の軍勢をチンチンにする
獅子奮迅の大活躍を見せました。
「遼来遼来(張遼が来るぞ!!)」
と言えば、泣いてる子供も
泣き止んだとされる逸話が
「泣く子も黙る」の元ネタです。




