27/603
註十五、龐会の怒り
註15.
蜀記曰:龐德子會,隨鍾、鄧伐蜀,蜀破,盡滅關氏家。
(意味)
蜀記にいう。龐徳の子の龐会は、
鍾会と鄧艾の蜀征伐に随行し
蜀が破られると、関羽の一族を悉く滅した。
(註釈)
樊城の戦いの時に
関羽に斬られた龐徳には
龐会という息子がいたようです。
263年に時の権力者司馬昭が
鄧艾と鍾会に命じて蜀を攻めさせ
蜀漢は滅亡してしまいます。
この時龐会も従軍していて
蜀の地の関羽の一族を全て
報復として皆殺しにした……
といいますが、
龐徳伝を読むと、蜀記の引用があって、
「龐会が蜀から龐徳の遺体を
持ち帰った」とも書いてあるんです。
しかし、龐徳の墓はそもそも魏にあって
この龐会関連の記述は
著者の王隠による
虚飾・創作の可能性が高いと言えましょう。
関羽伝は「蜀記」によって
補われている部分が大きいのですが
どうも眉唾くさい記事も多く、
全ての話を鵜呑みにしない方が良さそうです。




