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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第九、周瑜伝
248/603

十四、孫権の采配

14.

瑜兄子峻,亦以瑜元功為偏將軍,領吏士千人。峻卒,全琮表峻子護為將。權曰:「昔走曹操,拓有荊州,皆是公瑾,常不忘之。初聞峻亡,仍欲用護,聞護性行危險,用之適為作禍,故便止之。孤念公瑾,豈有已乎?」


(訳)

周瑜の兄の子の周峻しゅうしゅんもまた

周瑜の元の功績によって偏将軍となり、

吏人・士卒千人を領有した。


周峻が卒すると、

全琮ぜんそうは周峻の子の周護しゅうご

将軍に任命するよう上表した。


孫権は言った。


「昔日に曹操を敗走させ、

荊州を切り拓いて所有出来たのは

すべて公瑾の手柄であり、

片時もそれを忘れた事はない。


初めは周峻が亡くなったと聞いて

そのまま周護を(後継の将として)

用いるつもりでおったのだが、

聞けば、周護は性格や行いが危険で

彼を用いれば、却ってわざわいを招くと思い

故に任官は取りやめた。


孤は公瑾を今も思慕している、

(だからといって)どうして已めようか?」


(註釈)

孫権の考えもわかるんですよ。


呉には武将が亡くなった場合、

その子弟が兵権を受け継ぐ

襲兵制というのがありますが、

封邑とか領地までも

継承されちゃうシステムみたいなのです。


周瑜の能力ありきで与えてた任地を

優秀かどうかもわからない子弟に

はい、どーぞ♪と与えるわけにはいかんのです。

(単純に周家を警戒し、やんわり

排除に動いてるだけかもしれませんが)



呉は地方豪族の連合政権なので

孫権はそのボス格といっても

発言力がそこまであるわけではなく、

言いたいことを言えるようになるのは

皇帝に即位してから、後のイメージです。


呉の成立史はそのまんま

孫権の支配権の確立の過程って感じで。


やりたい事をやれるようになってからは

孫権の持ち味の粘り腰やバランス感覚が

スポイルされたような印象を受けます。


言いたいことをガマンして

じっくり作戦練ってた時の方が

遥かに優秀だったというのは

皮肉なものです。




最後に、個人的な周瑜評です。


戦闘 ★★★★★★★★★ 9


〜周瑜の生涯戦績〜

○当利口(VS張英)

○横江津(VS樊能・于糜)

○秣陵(VS薛礼)

○県南(VS笮融)

○湖孰(VS劉繇?)

○江乗(VS劉繇?)※しばし孫策と別行動

○皖城(VS劉勲?)※小喬との婚姻

○尋陽(VS劉勲)

○江夏(VS黄祖)

○豫章(VS???)

○廬陵(VS???)

○麻屯(VS???)

○保屯(VS???)

○柴桑(VS鄧龍)

○江夏(VS黄祖)

○赤壁(VS曹操)

○南郡(VS曹仁)※脇腹に深手を負う


17戦17勝無敗


出ましたパーフェクトレコード。


相手が弱いんじゃないの?

と思いましたが、

曹操・曹仁・黄祖が入ってるので

フロックではありません。


数の上では圧倒的に不利だった

赤壁の戦いを勝利に導いた功績は

あまりにも多大、三国時代の

ターニングポイントです。


★10は曹操と司馬懿です。

周瑜は実働年数の短さから

1つ減らしました。



・戦略 ★★★★★★★★★ 9


赤壁の戦況分析にその片鱗が垣間見えます。


「曹操の威勢に皆が怯える中、

周瑜と魯粛だけが毅然と見通しを立て

人々に抜きん出た存在感を示したのは

本当に彼らの才覚が、桁違いだったから」


というのが陳寿の評価です。


劉備の危険性にも

周瑜が誰より早く気付いてました。


死の直前に彼の思い描いていた、

関中や益州まで視野に入れた

天下二分の計は──常人に

考えつくものではないように思います。


周瑜に高評価を寄せている人物も

曹操・劉備・孫権・魯粛など

一流どころばかり。

文句の付けどころが無いです。



・内政 ★★★★★★ 6


戦闘の記述は目覚しいものばかりですが

内政は何かやったっけ……?


200〜208年の

記述スカスカ期間で

何かしらやってたんでしょうけど。


治績を挙げた様子が特にないので

ここは余り高い評価になりません。




・人格 ★★★★★★★★★ 9


美男子、人望あり、義理堅い、寛大、

江表伝の周瑜アゲっぷりを考慮せずとも

素晴らしい人格者だと思われます。


何か欠点を探そうとはしましたが

特にありませんでした。


孫権と仲悪かった?

というのは、根拠に乏しく

飽くまで推測の域を出ないです。


三國志Ⅲでは、総合能力において

周瑜が全武将中1位でしたが、

こうして列伝を読んでみると納得がいきます。



孫策と仲が良く、

兄の死後、震える孫権の肩を叩いて

君臣の義を示し、戦においては常勝無敗、

赤壁の戦役で歴史を変えるも

直後に病没してしまった

美しき呉のエース、周瑜伝でした。

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