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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第九、周瑜伝
240/603

八、曹仁対周瑜

8.

瑜與程普又進南郡,與仁相對,各隔大江。兵未交鋒,瑜即遣甘寧前據夷陵。仁分兵騎別攻圍寧。寧告急於瑜。瑜用呂蒙計,留淩統以守其後,身與蒙上救寧。寧圍既解,乃渡屯北岸,剋期大戰。瑜親跨馬擽陳,會流矢中右脅,瘡甚,便還。後仁聞瑜臥未起,勒兵就陳。瑜乃自興,案行軍營,激揚吏士,仁由是遂退。


(訳)

周瑜は程普ていふらとともにまた南郡なんぐんへと進出し

曹仁と相対すると、各々大江によって隔てられた。


兵がいまだほこさきを交えぬうち、

周瑜は即座に甘寧かんねいを派遣して

夷陵いりょうの前部に拠らせた。


甘寧が周瑜に急を告げると、

周瑜は呂蒙りょもうの計を用い

凌統りょうとうを留めてその背後を守らせ、

自らは呂蒙とともに流れをさかのぼって

甘寧の救援に向かった。


甘寧の攻囲が解けたのちに

渡江して北岸に駐屯し、

期日を定めて大いに(曹仁と)戦った。


周瑜が自ら馬に跨って敵陣をつと

その時に流れ矢が右脅(右脇腹)に命中し、

深手を負って直ちに帰還した。


その後曹仁は、周瑜がせっていて

起き上がれないことを聞き、

兵を率いて(周瑜の)陣に就いた。


周瑜はそこで自ら奮い起ち

軍営を案行して吏人・士卒を激励し、

曹仁はこうした理由から遂に撤退した。




(註釈)


甘寧かんねい黄祖こうそ倒した際に

孫権軍に入ったばかりの新入りなので

ここではパシリ的な扱いです。


まだ甘寧が黄祖軍に所属していた頃に

凌統りょうとうの親父さんの

凌操りょうそうを殺めてしまった経緯があり

凌統から命を狙われていました。


孫権は「甘寧に復讐すんなよ?」と

凌統にクギを刺していたそうです。


三国志演義では、儒須口じゅしゅこうの戦いの際に

ピンチに陥った凌統を甘寧が救出した事で

二人の蟠りが解けるという描写が

追加されております。



話を江陵攻略に戻して、

周瑜はまず新入り甘寧に露払いをさせて

後から自分と呂蒙の本隊がドーン。


たちまちに激戦となり

周瑜は右脇腹に矢をくらって

大ダメージを受けてしまいます。


百戦錬磨の曹仁がこの好機を逃すはずもなく

周瑜の陣を強襲しようと画策しますが、

周瑜は怪我を押して出陣!

都督自らの奮闘に兵士たちも皆奮い立ち、

曹仁はかくて江陵から撤退していきました。


曹仁が敗れたのは、この時と

222年の呉攻めのたった2回だけです。

関羽ですら樊城の曹仁抜けなかったのに

周瑜はやはり大した指揮官です。


周瑜が負傷してからの流れは

孫策伝が引く「江表伝」にあった

孫策が矢で負傷するお話に

内容が酷似しています。


江表伝の作者は、

孫策と周瑜の友情パワーを

過剰演出で描き出してますが、何も

矢で負傷するとこまでお揃いにしなくても……



周瑜伝では書かれてませんが

ここの戦では、甘寧と曹仁そうじん

一廉の胆力と武勇とを見せたそうです。


魯粛伝終わったら甘寧伝やりますので

甘寧の活躍はその時に(呂蒙は?

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