九、後嗣その後
関羽伝本文のラストです。
関羽の死後、その後嗣についてです。
9.
追諡羽曰壯繆侯。子興嗣。興字安國,少有令問,丞相諸葛亮深器異之。弱冠為侍中、中監軍,數歲卒。子統嗣,尚公主,官至虎賁中郎將。卒,無子,以興庶子彝續封。
(訳)
(260年)関羽に壮繆侯を追諡した。
子の関興が後を継いだ。
関興はあざなを安国といい
若くして名声があり
丞相諸葛亮はその才を高く評価した。
弱冠(20歳前後)で
侍中・中監軍となったが、数年で卒した。
子の関統が後を継いだ。
公主(内親王)を娶り
官位は虎賁中郎将まで至った。
関統が卒し、子が無かったため
関興の庶子である関彝に爵位を継がせた。
(註釈)
関羽の諡(死者へ追贈する称号)は
壮繆侯です。
関羽の死から40年後、
蜀漢の景耀2年、260年に
張飛や馬超とともに追謚されました。
諡号は大きく分けて
褒めるタイプの「美」
けなすタイプの「悪」
早逝を追悼する「平」
の三種があります。
関羽の場合、美と悪
両方の諡を与えられてる珍しいタイプです。
優れた武将であった反面
荊州を失陥してしまったのは
やはり同時代の人間からも
マイナスに捉えられているんですね。
また、二文字の諡を与えられてるのは
蜀臣では関羽・趙雲・諸葛亮だけです。
関羽の後嗣については、
関羽とともに斬られた関平が
恐らくは長男ですね。
関興が次男で、それとあと
孫権が孫登との縁談を
申し込んで来た娘が居るはずです。
メディアによっては、関羽の娘の名は
関銀屏とするものもあります。
また、京劇に出てくるイケメン
三男の関索は架空の人物です。
関羽の子の関平・関興はともかく
孫の関統と関彝の名前は
明日になったら忘れてそうです。




