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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
225/603

註二十六、陳寿評を孫盛が斬る!

註26.

孫盛曰:孫氏兄弟皆明略絕羣。創基立事,策之由也,自臨終之日,顧命委權。夫意氣之間,猶有刎頸,況天倫之篤愛,豪達之英鑒,豈吝名號於旣往,違情本之至實哉?抑將遠思虛盈之數,而慎其名器者乎?夫正本定名,為國之大防;杜絕疑貳,消釁之良謨。是故魯隱矜義,終致羽父之禍;宋宣懷仁,卒有殤公之哀。皆心存小善,而不達經綸之圖;求譽當年,而不思貽厥之謀。可謂輕千乘之國,蹈道則未也。孫氏因擾攘之際,得奮其縱橫之志,業非積德之基,邦無磐石之固,勢一則祿祚可終,情乖則禍亂塵起,安可不防微於未兆,慮難於將來?壯哉!策為首事之君,有吳開國之主;將相在列,皆其舊也,而嗣子弱劣,析薪弗荷,奉之則魯桓、田巿之難作,崇之則與夷、子馮之禍興。是以正名定本,使貴賤殊邈,然後國無陵肆之責,後嗣罔猜忌之嫌,羣情絕異端之論,不逞杜覬覦之心;於情雖違,於事雖儉,至於括囊遠圖,永保維城,可謂為之于其未有,治之于其未亂者也。陳氏之評,其未達乎!


(訳)

孫盛はいう、


孫氏の兄弟(孫堅の子供たち)は皆、

智略に抜群に優れていた。


基礎を創め、事業を打ち立てたのは

孫策に由来するものであり、

自らが臨終する日には

孫権に顧命こめい(遺命)を委ねた。


そもそも意気投合した間柄にも

なお刎頚ふんけいの交わりがあるのであって、

してや

天倫てんりん(親子・兄弟)の愛情のあつさと

物事に通じた優れた見識を持つ孫策が

どうして名号をしんで

本来の感情を違えてまで

実行に移そうとするだろうか?


それとも、将来の興亡の命数を遠望し

その名と器を慎んだのであろうか?


そもそも、根本を正し名を定めることが

国家を護るための大略であり

疑惑を根絶することが

釁隙きんげきを無くすための良謨りょうぼである。


こうした理由から

魯の隠公いんこうは義を誇りて

終には羽父うほわざわいに至り、


宋の宣公せんこうは仁を抱きて

卒には殤公しょうこうの悲劇に見舞われた。


皆、心に小善在りて

経綸けいりん(国家の秩序を整備)

の事を図るまでに至らずに

当年の栄誉を求めて

貽厥いけつ(子孫)のために謀る事を

忘れてしまったのである。


千乗の国を軽く考え、

道義を踏み行う事が

則ち、十分ではなかったのだ。


孫氏は擾攘じょうじょう(混乱)した情勢に因り

その縦横の志を奮い立たせる事が出来たが、

その業績には徳行を積むというもとい無く、

くにとしての盤石の強固さも無かった。


勢いを一つにすれば則ち

福禄を全うすることができようが、

情が離れてしまえば則ち

禍乱は塵の如くに巻き起こるもので、

どうして微かな兆しの

顕れぬうちに防ごうとし、

将来の難事を慮らずにいられようか?

壮なるかな!


孫策が首脳の君主となり

呉の開国の主となると、

居並ぶ将軍・宰相は皆

その旧知の者であったが、

嗣子ししは惰弱で、親に劣っており

析薪せきしんを荷うことは出来なかった。


魯の桓公や田市でんしのような

難事を為す者を(高位に)奉ずれば

則ち与夷よい(殤公)や公子馮こうしひょう(荘公)を

崇めるが如き禍が興る。


このように

(孫権は孫策の子を侯に止めることで)

名を正して根本を定め

貴賎を殊更にはるかにして、

然るのち、国家が陵肆ほしいまま

振る舞ったという責譲を逃れ

後嗣が猜忌さいきの嫌疑にかかることなく

群衆の感情から異端の論を絶ち

不逞の輩の覬覦きゆの心を閉ざす事が

できたのである。


(骨肉の)情においては違え

事においては無駄を省き

括囊かつじょう(無駄口を叩かず?)して

遠い将来について図り

永く城のおおもとを保った事は

事が起こらぬうちに為したもので、

乱れぬうちに治めたものと謂えよう。


陳氏(陳寿)の評は、

物事を見通してはいない。


(註釈)

経綸けいりん…………国家の秩序を整備する事

良謨りょうぼ…………良計

貽厥いけつ…………子孫

擾攘じょうじょう…………混乱

覬覦きゆ…………分不相応な事を狙う


孫盛の言い回しがいちいち難解すぎる。

もうちょっと易しい言葉を用いてください。




魯の隠公は

嫡子で弟のいん(桓公)が幼かったため

彼に代わって垂簾すいれん政治を行い、

允が成人したら位を譲ろうと考えてました。


羽父は允を殺してしまえと

提案したものの

隠公に突っぱねられてしまい、

允に恨まれて殺される事を恐れた彼は

逆に允に讒言して隠公を殺害させました。


宋の宣公は跡継ぎに

子供(殤公)でなく弟(穆公)の方を選び、

穆公は死に際して殤公に後を託したが

殤公は暴君で、結局誅されました。


どちらも、本来の君主の子に

譲位しようとして起きた悲劇です。


孫策が子でなく弟の孫権を

後継者に選んだのも、おかしな事でないし


孫権がまた孫策の子の爵位を

侯に止めたことも、彼なりに

きっちりと先を見通したもので

陳寿の誹謗は道理に合わない、

という内容でした。


よく言ってくれた!!孫盛!!(孫権シンパ



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