註二十一、孫伯符対許貢の刺客
註21.
江表傳曰:廣陵太守陳登治射陽,登即瑀之從兄子也。策前西征,登陰復遣間使,以印綬與嚴白虎餘黨,圖為後害,以報瑀見破之辱。策歸,復討登。軍到丹徒,須待運糧。策性好獵,將步騎數出。策驅馳逐鹿,所乘馬精駿,從騎絕不能及。初,吳郡太守許貢上表於漢帝曰:「孫策驍雄,與項籍相似,宜加貴寵,召還京邑。若被詔不得不還,若放於外必作世患。」策候吏得貢表,以示策。策請貢相見,以責讓貢。貢辭無表,策即令武士絞殺之。貢奴客潛民間,欲為貢報讎。獵日,卒有三人即貢客也。策問:「爾等何人?」荅云:「是韓當兵,在此射鹿耳。」策曰:「當兵吾皆識之,未嘗見汝等。」因射一人,應弦而倒。餘二人怖急,便舉弓射策,中頰。後騎尋至,皆刺殺之。
(訳)
江表伝にいう、
広陵太守の陳登が射陽を治めており、
陳登は即ち、陳瑀の従兄の子である。
孫策が西征する以前
陳登もまた陰で間者を遣わしており、
印綬を厳白虎の余党に与えて
後害となるように図り、
陳瑀が孫策に破られた屈辱に
報いようと考えた。
孫策は帰還し、復た陳登の討伐に向かった。
軍は丹徒に到り、兵糧の到着を待った。
孫策は狩猟を好む性格であり、
(待機時間を利用して)
歩騎を引き連れ、しばしば狩りに出掛けた。
孫策は馬を馳せて鹿を追ったが、
彼の乗馬は駿馬であったため
従者の騎馬は誰も追いつけなかった。
これより以前、呉郡太守の許貢が
漢帝に上表し、こう述べていた。
「孫策は驍雄であり、
項籍(項羽)と似ております。
貴き寵遇をお加えになり
京邑(許都)へ召還なさるべきです。
もし詔を被れば、
孫策も還らぬ訳には参りますまい。
もし孫策を外界に放置なされれば
必ずや世の患となりましょう」
孫策の斥候の役人が
許貢の上表文を得て、孫策に示した。
孫策は許貢に相見え、彼を責譲した。
許貢は上表などしていないと弁解したが、
孫策は即座に武士に命じて
彼を絞め殺させてしまった。
許貢の奴僕や食客は民間に潜み、
許貢の報讐を為そうとした。
孫策が狩りに出た日、
卒然と三人の人物と出くわしたが
即ち、彼らが許貢の食客であった。
孫策は彼らに問うた。
「お前ら、何者だ?」
答えて言った。
「此の方は韓当の兵で、
ここで鹿を射っていたのです」
孫策は言った。
「韓当の兵なら俺は全員知ってるが、
今までにお前らなんざ見たことねぇよ」
そこで孫策が
うち一人に矢を射かけると、
弦のしなりに応じて倒れた。
残り二人は怖気付き
慌てて弓を挙げて射ると、
矢は孫策の頬に命中した。
この後従者の騎馬がすぐに到着し、
残りの二人はともに刺殺された。
(註釈)
空いた時間に狩りをしていたら
孫策の乗ってる馬が速すぎて孤立し
そこに偶然刺客が居合わせるとか、
なんて都合のいい脚本なんだ!
でも肝心の陳登戦に
孫策が出てこなかったの
負傷リタイアと考えると
辻褄が合ってしまいます。
演義で孫策が「小覇王」と呼ばれているのは
ここで項羽に比せられたことがネタ元です。
韓当の兵うんぬんの問答は
そのまま演義にも採用されています。




