註二十、不死身の于吉!?
註20.
搜神記曰:策欲渡江襲許,與吉俱行。時大旱,所在熇厲。策催諸將士使速引船,或身自早出督切,見將吏多在吉所,策因此激怒,言:「我為不如于吉邪,而先趨務之?」便使收吉。至,呵問之曰:「天旱不雨,道塗艱澁,不時得過,故自早出,而卿不同憂戚,安坐船中作鬼物態,敗吾部伍,今當相除。」令人縛置地上暴之,使請雨,若能感天日中雨者,當原赦,不爾行誅。俄而雲氣上蒸,膚寸而合,比至日中,大雨總至,溪澗盈溢。將士喜恱,以為吉必見原,並往慶慰。策遂殺之。將士哀惜,共藏其尸。天夜,忽更興雲覆之;明旦往視,不知所在。案江表傳、搜神記于吉事不同,未詳孰是。
(訳)
捜神記にいう、
孫策は長江を渡って
許都を襲撃しようと考え、
于吉もともに行軍した。
時に大規模な旱に遭い、
孫策の在る所は熇厲(炎熱)となった。
孫策は諸将に、速やかに
船を引いてくるよう催促し、
或いは自らも早く船を出すように督責した。
将吏の方を見やると
その多くは于吉の所に集まっており、
孫策はこのことに激怒して言った。
「俺が于吉みたいにやれねぇから
先にそいつのとこへ行って
付き従おうってのか!?」
孫策はただちに于吉を捕えさせた。
于吉が引き出されると
孫策は詰問して言った。
「日照り続きで雨が降らねぇ。
進路に難渋しちまって通れねぇから
俺は朝早くから出てるってのに、
卿はそんな心配事をよそに
安穏と船の中に幽鬼みたいに座って、
俺の隊伍の士気を乱しやがって。
今度こそ始末してやる」
孫策は人に命じて于吉を縛らせ、
地べたに置いて彼を曝し者にし、
雨乞いをさせた。
もしも天を感応させて
一日中に雨を降らす事ができれば
当然、赦免してやるべきだろう。
さもなくば誅する。
(と、無理難題を吹っかけた)
俄かに雲気が蒸上すると
膚寸(途切れた雲雲)が重なって
日中に至る頃、一気に大雨がやって来て
溪澗(谷川)は水で溢れた。
将士は、于吉がきっと
無罪放免となると見て喜び、
揃って彼のもとへ行きて
慶賀し慰労したが、
結局孫策は于吉を殺してしまった。
将士は哀惜し、
共同でその尸を蔵匿した。
夜になると、急に雲が沸き起こって
于吉の亡骸を覆い、
翌朝に行って視てみると
所在が分からなくなっていた。
(わたくし裴松之が)考えるに、
「江表伝」と「捜神記」で
于吉の記事の内容は異なっており、
孰れが正しいか詳らかでない。
(註釈)
安坐船中作鬼物態
↑
ここの訳自信なし。
「船の中に幽鬼みたいに安穏と座って……」
と訳しましたが
「どうして船中に座って
でたらめをしでかしていられる!?」
かも。
しかし、
雨乞いしたら大雨が降ったとか
死体が忽然と消えるとか
そんなバカな事があるもんか。
「どっちが正しいかわからない」
というか、どっちも嘘じゃないのかな。
「典略」に
公孫瓚が劉虞を処刑しようとした際に
「雨を降らせてみろ」って
要求する場面があるんですけど
それをアレンジしたんだと予想。
劉虞・于吉 ←人望のある有力者
公孫瓚・孫策 ←それを害する輩に天罰!
公孫瓚は劉虞を殺害したことで
名士層を敵に回してしまって、滅びました。
孫策も、俄かに滅亡した遠因として
名士を蔑ろにした、ってことを
伝えたいんだと思います。
ここまでに出て来た
江表伝・志林・捜神記における
于吉の記述は、ぜーーんぶ
演義に採用されています。
三国志演義の作者は、
ブツ切りの情報を
無理なく数珠つなぎにするのが
メチャクチャうまい。
やっぱり天才ですよ。




