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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
214/603

十二、唐突すぎた死

12.

建安五年,曹公與袁紹相拒於官渡,策陰欲襲許,迎漢帝,密治兵,部署諸將。未發,會為故吳郡太守許貢客所殺。先是,策殺貢,貢小子與客亡匿江邊。策單騎出,卒與客遇,客擊傷策。創甚,請張昭等謂曰:「中國方亂,夫以吳、越之衆,三江之固,足以觀成敗。公等善相吾弟!」呼權佩以印綬,謂曰:「舉江東之衆,決機於兩陳之間,與天下爭衡,卿不如我;舉賢任能,各盡其心,以保江東,我不知卿。」至夜卒,時年二十六。


(訳)

建安五年(200)、曹公が

袁紹と官渡かんとで互いにふせぎ合っていた際、

孫策は密かに許都を襲撃して

漢帝を迎えようとした。


孫策は密かに兵を整え、

諸将を各部に配置したが

出発せぬうちに、もとの呉郡太守の

許貢きょこうの刺客に殺害される所となった。


これより以前に、孫策が許貢を殺した際

許貢の幼い子供とその食客は

長江の岸辺へと逃げ隠れていた。


孫策が単騎にて外出した際

卒然と許貢の食客に遭遇してしまい、

食客らは孫策を撃ち、負傷させた。


創は深く、

孫策は張昭らに請うて謂った。


「中原は戦乱の真っ只中にある。


呉・越の軍勢で

三江の守りを固めりゃあ、

成功と失敗の時期を

見極めることができると思うんだ。


あなた方には、俺の弟(孫権)を

よくよく助けてやって欲しい……」



孫策は孫権を呼び寄せ

印綬をかせ、謂った。


「江東の軍勢を挙って

両陣営の間でその機を決し、

ともに天下を争うこととなれば、

お前は、俺のようにはできねぇ。


だが、

賢人を推挙してその能力に任せ、

それぞれに心を尽くさせて

江東を保っていくこととなれば、

俺は、お前には及ばねぇ」


夜に至って、孫策は卒した。

時に、二十六歳だった。



(註釈)

伯符ーーーー!!!!


日の出の勢いの孫策でしたが

許貢の残党の手にかかり

孫堅パパ同様に

あっけなさすぎる最期を迎えました。


パパも一人で偵察に行ったところを

射殺されたと書いてありましたが、

孫策も、一人でふらついてたら

偶然にも刺客と遭遇してしまい……

無鉄砲は血のなせるワザなのかぁあ。


孫策にはすでに息子がいましたが

卒するにあたって、後継者には

7歳下の弟、孫権を立てました。

このときの孫権、まだ19歳です。


(張昭たちは長弟・孫権ではなく

孫策に似た次弟・孫翊そんよくを推していた)


「戦争で領土を切り取るなら俺のが上、

人を集めて国を発展させるならお前が上」


と弟に言い遺していきましたが、

この孫権評は実に的を射ていると思います。



しかし……

曹操が袁紹とやり合ってる隙を狙って

許を襲撃しようと孫策は考えたそうですが

ほんまかいな。


「○○するつもりだった」って

便利な言葉です。

実際には行動に移してなくとも

後からなんとでも脚色できるもんね。



曹操の謀臣の郭嘉かくかが言うには


「孫策は江東を平定したばかりで

人望のある者を誅しているにも関わらず

大した備えもなく、百万の軍勢を擁して

一人で野を歩いているようなものです。

必ずや刺客の手にかかって死ぬでしょう」


おまえは予知能力者か。

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