表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
206/603

註十一、偽帝討伐の詔勅

註11.

江表傳曰:建安二年夏,漢朝遣議郎王誧奉戊辰詔書曰:「董卓逆亂,凶國害民。先將軍堅念在平討,雅意未遂,厥美著聞。策遵善道,求福不回。今以策為騎都尉,襲爵烏程侯,領會稽太守。」又詔勑曰:「故左將軍袁術不顧朝恩,坐創凶逆,造合虛偽,欲因兵亂,詭詐百姓,始聞其言以為不然。定得使持節平東將軍領徐州牧溫侯布上術所造惑衆妖妄,知術鴟梟之性,遂其無道,脩治王宮,署置公卿,郊天祀地,殘民害物,為禍深酷。布前後上策乃心本朝,欲還討術,為國效節,乞加顯異。夫縣賞俟功,惟勤是與,故便寵授,承襲前邑,重以大郡,榮耀兼至,是策輸力竭命之秋也。其亟與布及行吳郡太守安東將軍陳瑀勠力一心,同時赴討。」策自以統領兵馬,但以騎都尉領郡為輕,欲得將軍號,及使人諷誧,誧便承制假策明漢將軍。是時,陳瑀屯海西,策奉詔治嚴,當與布、瑀參同形勢。行到錢唐,瑀陰圖襲策,遣都尉萬演等密渡江,使持印傳三十餘紐與賊丹楊、宣城、涇、陵陽、始安、黟、歙諸險縣大帥祖郎、焦已及吳郡烏程嚴白虎等,使為內應,伺策軍發,欲攻取諸郡。策覺之,遣呂範、徐逸攻瑀於海西,大破瑀,獲其吏士妻子四千人。



(訳)

江表伝にいう、

建安二年(197年)夏、

漢王朝は、議郎の王誧おうほ

戊辰ぼしんの日に詔書を奉らせ、述べた。


「董卓は逆乱し、

国に凶事を引き起こし、民を害した。


先の将軍孫堅は、董卓の討伐を志し、

雅意(常の志)こそ遂げられなかったが

その美点は広く世に聞こえた。


孫策は善道を遵奉し

(世の人々の)幸福を求め、

回る(郷里へ帰る?)ことがない。


今、孫策を騎都尉きといに任命し

(孫堅の)烏程うてい侯を襲名させ、

会稽かいけい太守を領させる」


また、詔勅しょうちょくして述べた。


「もとの左将軍袁術は

王朝の恩徳を顧みることなく、

坐して悪逆を創め、虚偽を生み出し

兵乱に因らんと百姓を詭詐きさ(騙そうと)し、

始めにその言葉を聞いた時は

事実ではあるまいと考えた。


使持節・平東将軍・徐州牧・温侯の呂布から

袁術が民衆を惑わし、

妖妄ようもう(あやしくでたらめな事)を

仕出かしているとの上奏書を得て

はじめて事実であることがわかり、

袁術の鴟梟しきょうの如き本性が明らかとなって

とうとうその無道ぶりは

王宮を造営し、公卿を配置し、

天地を郊祀こうしし、民を傷つけ、

作物を害して、深刻なわざわいを為している。


呂布は前後に渡って、孫策が

漢王朝に心を寄せている旨を上奏し、

(孫策が)還りて袁術を討伐し

国家に忠節を示さんとしている故に、

特別な恩顧を加えるよう乞うている。


そもそも、懸賞して功を待つのは

ひたすら謹直なる者へ

これを与えんがためで、

故に、直ちに恩寵を授け

前任者(孫堅)の采邑さいゆうを継承させ

大郡の重役(会稽太守)に任命する。


栄華と光耀とが相至り、

今こそ孫策よ、お前が力を尽くし、

忠節を示して君命を奉ずるときなのだ。


速やかに呂布、及び

呉郡太守・安東将軍の陳瑀ちんうとともに

力を合わせ、心を一つにして

時を同じくして袁術の討伐へ赴け」


孫策は自ら兵馬を統領していたが、

ただ騎都尉の官職だけでは

郡太守を領するには軽すぎると考えて

将軍号を得ることを願い、

そこで人を遣って王誧へ諷諭ふうゆさせた。


王誧はすぐさま承認し

孫策は明漢将軍に仮された。


このとき陳瑀は海西に駐屯し、

孫策は詔を奉じて兵装を整え、

呂布・陳瑀と共同して任に当たった。


行軍して銭唐せんとうへ到ると、

陳瑀は密かに孫策を襲撃しようと企てて

都尉の万演まんえんらを遣って

秘密裏に長江を渡らせ、

印章三十余りを持って行かせて

丹陽たんよう宣城せんじょうけい陵陽りょうよう始安しあんきゅう

諸々の危険な県の賊徒に与え、

大師の祖郎そろう焦已しょうい、および

呉郡烏程の厳白虎げんはくこらを内応させて

孫策が軍を進発させた隙を伺って

諸郡を攻め取ろうとした。


孫策は陳瑀の計画に気付いて

呂範りょはん徐逸じょいつを派遣して

海西の陳瑀を攻撃させて大破し、

彼の吏人やその妻子の四千人を得た。


(註釈)

そりゃ朝廷が、勝手に僭称してる袁術を

放置しておくわけがないと思ってましたが

子飼いの孫策のとこに檄文が来てるとは。


しかも呂布の推薦??

呂布??


呂布が孫策を、

漢王朝の忠臣として

評価していたって

突拍子もなさすぎる。


本当に呂布と孫策が手を組んで

袁術をやっつけるつもりなんだったら

徐州で呂布が大勝した時に

そのまま孫策が追撃して

袁術にとどめをさしちゃえば

いい話なんですよ。


江表伝は孫策を

アンチ袁術に仕立てようとしすぎて

話がところどころおかしい。




そのことは一旦置いておいて、

呂布・陳瑀ちんうの二人は

袁術の味方から、アンチ袁術に

回った人たちです。


呂布は朝廷も味方につけてるし

実際袁術に大打撃与えたのに、

ここからまたなんで

袁術に寝返ったのかが、本気でわからない。

そんなに曹操がイヤだったのかな。


陳瑀も陳瑀で、孫策から密かに

領地を奪おうとしてます。

揚州刺史だったときに

たぶん孫賁そんひ兄貴にやられてますからね、

孫策のこと逆恨みしててもおかしくない。


呂布伝の最後の方にあった

孫策軍 VS 陳登 の描写は

ここで陳瑀との因縁があったから、

ということにもなっています。


こうして見ると、陳瑀はけっこう

場を引っ掻き回す人だなぁ。



この数ページ後に

ここの描写の続きがありますが、

結局孫策は袁術を攻めていません。


曹操中心で見てくと、孫策はむしろ

許都を狙おうとしている逆賊だし、

どうも「漢室の忠臣」というよりかは、

「袁術の与党」の方がしっくり来ます。


孫堅と孫策は、袁術の支持者。


袁術亡き後の孫権は……どうなんだろう、

また後で触れていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ