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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
203/603

九、基盤を固める

9.

盡更置長吏,策自領會稽太守,復以吳景為丹楊太守,以孫賁為豫章太守;分豫章為廬陵郡,以賁弟輔為廬陵太守,丹楊朱治為吳郡太守。彭城張昭、廣陵張紘、秦松、陳端等為謀主。

時袁術僭號,策以書責而絕之。

曹公表策為討逆將軍,封為吳侯。


(訳)

悉く長吏を再配置して

孫策は自ら会稽かいけい太守を領した。


再度呉景(ごけい)丹陽たんよう太守、

孫賁そんひ豫章よしょう太守に任じ、

豫章を分割して廬陵ろりょう郡とし

孫賁の弟の孫輔そんほを廬陵太守、

丹陽の朱治しゅちを呉郡太守とした。


彭城ほうじょう張昭ちょうしょう

広陵こうりょう張紘ちょうこう秦松しんしょう陳端ちんたんらが

参謀となった。


時に袁術が帝号を僭称し、

孫策は書状を以ってこれを責め、

然るのち袁術との縁を絶った。


曹公は上表して孫策を討逆とうぎゃく将軍に任じ

呉侯に封じた。


(註釈)

劉繇りゅうよう笮融さくゆう、王朗、厳虎げんこ、太史慈を

掃討した孫策は、信頼できる身内を

各所の行政の長として配置しました。


会稽かいけい太守 - 孫策

丹陽たんよう太守 - 呉景ごけい(叔父)

豫章よしょう太守 - 孫賁そんひ(従兄)

廬陵ろりょう太守 - 孫輔そんほ(従弟)

呉郡ごぐん太守 - 朱治しゅち(孫堅の元配下、父同然)


(豫章はまだこの時点じゃ

落ちてないので、形式的なモノ?

周瑜の身内の丹陽太守は無視か?)


参謀には張昭ちょうしょう張紘ちょうこう

更に、数ページ前に張紘の言っていた

「同好の士」というのが、ここで出てきた

秦松しんしょう陳端ちんたんの事なのでしょう。


弟孫権も196年には15歳となり、

朱治に孝廉に推挙されて、兄・孫策に

優れた献策を見せるようになったとか。


広い揚州を、たかだか2〜3年で

ほとんど平らげ、戦力を

瞬く間に充実させた孫策は

やはりとんでもないタマです。


しかし、孫策に勝手に身内を

太守に任命するような権限があるとは

どうも思えません。

単に自称してるだけかもしれないけど。


朝廷から任命された感じもないので

つまり……


袁術

「孫策くん、一生懸命頑張ったねぇ。

今度こそ、君を太守にするよ!


今まで約束守れなくてごめんね?


代わりに、君の身内をたくさん

太守にしてあげるから!」


って事だったら、いいなぁ♪


でもこの後、袁術の従弟の袁胤えんいん

丹陽太守として派遣されてくるとあるので

やっぱりよくわからなくなる。


朝廷が任じた丹陽太守→周尚

袁術が任じた丹陽太守→呉景、のちに袁胤

孫策が任じた丹陽太守→呉景


こういうこと?


袁術はこのあと

ちゃっかりと皇帝に即位し

呂布と婚姻関係を結ぼうとして

逆にボコボコにされてしまうのでした。

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