↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々三国志  作者: ンバ
まえがき
PR
2/603

概説

三国志の話をする前に

歴史の流れをざっと見ていきます。


「どういう経緯」で

三国志の時代に至ったのか

軽く知っておく必要があると思うので……


早く始めろや!!って方は

このページ飛ばしてください。



秦の始皇帝が天下統一(B.C.221)

↓

始皇帝が崩御(B.C.210)

陳勝《ちんしょう》・呉広《ごこう》による

史上初の農民反乱が起こる(B.C.209)

↓

圧政と後継者問題から

統一から15年で秦が滅ぶ(B.C.206)

↓

沛の劉邦《りゅうほう》と楚の項籍《こうせき》による覇権争い。

劉邦が項籍を破り漢を建国(B.C.202)

↓

劉邦が卒し、呂雉《りょち》の専横が始まる。

呂雉の死後、周勃《しゅうぼつ》・陳平《ちんぺい》らが

呂家を誅滅する(B.C.195〜B.C.180)

↓

文帝・景帝の治世で国内が安定(B.C180〜)

↓

諸侯王の勢力が強まり

呉楚《ごそ》七国《しちこく》の乱が起こる。

周勃の子、周亜夫《しゅうあふ》が反乱を平定。

(B.C.154)

↓

7代武帝の頃

漢は最盛期を迎える(B.C.141〜87)

↓

名宰相霍光(かくこう)が武帝亡き後

垂簾《すいれん》政治を行う(B.C.87〜B.C.68)

↓

9代宣帝が霍一族を粛清し

法家寄りの親政を行う(B.C.68〜B.C.48)

↓

10代元帝が儒教に傾倒

国勢が衰え始める(B.C.48〜B.C.33)

↓

11代成帝の時代から

外戚の王氏が権力を握り

王莽《おうもう》が漢を簒奪して新《しん》が興る(8年)

↓

王莽の失政により

樊崇《はんすう》ら農民が反乱を起こす。

彼らは眉を赤く染めていたため

赤眉《せきび》軍と呼ばれる

(赤眉の乱、18年)

↓

漢の末裔である劉秀《りゅうしゅう》が兄と挙兵。

反乱軍を結成し、新を破る(23年)

↓

劉秀が皇帝に即位

諸勢力を平定し漢を中興(25〜36年)


劉邦の建国した漢は「前漢《ぜんかん》」

劉秀の中興した漢は「後漢《ごかん》」と呼ばれる

↓

劉秀が亡くなり、光武帝と諡《おくりな》される

2代劉荘が安定した治世を行う(57〜75年)

↓

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

班超《はんちょう》が西域諸国を平定(73〜100年)

↓

後漢は皇帝の寿命が短く

外戚が垂簾政治を行う。

4代和帝が宦官を用いて外戚を除き

以降は宦官の勢力が強まる(92〜106年)

↓

外戚で圧倒的な権威を振るった

梁冀《りょうき》が宦官に滅ぼされ

宦官勢力が外戚の権力を上回る(159年)

↓

李膺《りよう》ら清流派《せいりゅうは》と呼ばれる士大夫が

宦官勢力を弾圧しようとしたため

免職・出仕禁止を言い渡される

(党錮《とうこ》の禁。166、169年)

↓

後漢の政治腐敗に対し

太平道の張角《ちょうかく》が反乱を起こす

(黄巾《こうきん》の乱。184年)


黄巾の乱によって後漢は衰退し

三国時代に移り変わる契機となりました。


ここから三国志の幕開けとなります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。