概説
三国志の話をする前に
歴史の流れをざっと見ていきます。
「どういう経緯」で
三国志の時代に至ったのか
軽く知っておく必要があると思うので……
早く始めろや!!って方は
このページ飛ばしてください。
秦の始皇帝が天下統一(B.C.221)
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始皇帝が崩御(B.C.210)
陳勝・呉広による
史上初の農民反乱が起こる(B.C.209)
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圧政と後継者問題から
統一から15年で秦が滅ぶ(B.C.206)
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沛の劉邦と楚の項籍による覇権争い。
劉邦が項籍を破り漢を建国(B.C.202)
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劉邦が卒し、呂雉の専横が始まる。
呂雉の死後、周勃・陳平らが
呂家を誅滅する(B.C.195〜B.C.180)
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文帝・景帝の治世で国内が安定(B.C180〜)
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諸侯王の勢力が強まり
呉楚七国の乱が起こる。
周勃の子、周亜夫が反乱を平定。
(B.C.154)
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7代武帝の頃
漢は最盛期を迎える(B.C.141〜87)
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名宰相霍光が武帝亡き後
垂簾政治を行う(B.C.87〜B.C.68)
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9代宣帝が霍一族を粛清し
法家寄りの親政を行う(B.C.68〜B.C.48)
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10代元帝が儒教に傾倒
国勢が衰え始める(B.C.48〜B.C.33)
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11代成帝の時代から
外戚の王氏が権力を握り
王莽が漢を簒奪して新が興る(8年)
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王莽の失政により
樊崇ら農民が反乱を起こす。
彼らは眉を赤く染めていたため
赤眉軍と呼ばれる
(赤眉の乱、18年)
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漢の末裔である劉秀が兄と挙兵。
反乱軍を結成し、新を破る(23年)
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劉秀が皇帝に即位
諸勢力を平定し漢を中興(25〜36年)
劉邦の建国した漢は「前漢」
劉秀の中興した漢は「後漢」と呼ばれる
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劉秀が亡くなり、光武帝と諡される
2代劉荘が安定した治世を行う(57〜75年)
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「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
班超が西域諸国を平定(73〜100年)
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後漢は皇帝の寿命が短く
外戚が垂簾政治を行う。
4代和帝が宦官を用いて外戚を除き
以降は宦官の勢力が強まる(92〜106年)
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外戚で圧倒的な権威を振るった
梁冀が宦官に滅ぼされ
宦官勢力が外戚の権力を上回る(159年)
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李膺ら清流派と呼ばれる士大夫が
宦官勢力を弾圧しようとしたため
免職・出仕禁止を言い渡される
(党錮の禁。166、169年)
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後漢の政治腐敗に対し
太平道の張角が反乱を起こす
(黄巾の乱。184年)
黄巾の乱によって後漢は衰退し
三国時代に移り変わる契機となりました。
ここから三国志の幕開けとなります。