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淡々三国志  作者: ンバ
まえがき
2/603

概説

三国志の話をする前に

歴史の流れをざっと見ていきます。


「どういう経緯」で

三国志の時代に至ったのか

軽く知っておく必要があると思うので……


早く始めろや!!って方は

このページ飛ばしてください。



秦の始皇帝が天下統一(B.C.221)

始皇帝が崩御(B.C.210)

陳勝ちんしょう呉広ごこうによる

史上初の農民反乱が起こる(B.C.209)

圧政と後継者問題から

統一から15年で秦が滅ぶ(B.C.206)

沛の劉邦りゅうほうと楚の項籍こうせきによる覇権争い。

劉邦が項籍を破り漢を建国(B.C.202)

劉邦が卒し、呂雉りょちの専横が始まる。

呂雉の死後、周勃しゅうぼつ陳平ちんぺいらが

呂家を誅滅する(B.C.195〜B.C.180)

文帝・景帝の治世で国内が安定(B.C180〜)

諸侯王の勢力が強まり

呉楚ごそ七国しちこくの乱が起こる。

周勃の子、周亜夫しゅうあふが反乱を平定。

(B.C.154)

7代武帝の頃

漢は最盛期を迎える(B.C.141〜87)

名宰相霍光(かくこう)が武帝亡き後

垂簾すいれん政治を行う(B.C.87〜B.C.68)

9代宣帝が霍一族を粛清し

法家寄りの親政を行う(B.C.68〜B.C.48)

10代元帝が儒教に傾倒

国勢が衰え始める(B.C.48〜B.C.33)

11代成帝の時代から

外戚の王氏が権力を握り

王莽おうもうが漢を簒奪してしんが興る(8年)

王莽の失政により

樊崇はんすうら農民が反乱を起こす。

彼らは眉を赤く染めていたため

赤眉せきび軍と呼ばれる

(赤眉の乱、18年)

漢の末裔である劉秀りゅうしゅうが兄と挙兵。

反乱軍を結成し、新を破る(23年)

劉秀が皇帝に即位

諸勢力を平定し漢を中興(25〜36年)


劉邦の建国した漢は「前漢ぜんかん

劉秀の中興した漢は「後漢ごかん」と呼ばれる

劉秀が亡くなり、光武帝とおくりなされる

2代劉荘が安定した治世を行う(57〜75年)

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

班超はんちょうが西域諸国を平定(73〜100年)

後漢は皇帝の寿命が短く

外戚が垂簾政治を行う。

4代和帝が宦官を用いて外戚を除き

以降は宦官の勢力が強まる(92〜106年)

外戚で圧倒的な権威を振るった

梁冀りょうきが宦官に滅ぼされ

宦官勢力が外戚の権力を上回る(159年)

李膺りよう清流派せいりゅうはと呼ばれる士大夫が

宦官勢力を弾圧しようとしたため

免職・出仕禁止を言い渡される

党錮とうこの禁。166、169年)

後漢の政治腐敗に対し

太平道の張角ちょうかくが反乱を起こす

黄巾こうきんの乱。184年)


黄巾の乱によって後漢は衰退し

三国時代に移り変わる契機となりました。


ここから三国志の幕開けとなります。


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