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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
199/603

七、伯符の為なら死ねる

7.

策為人,美姿顏,好笑語,性闊達聽受,善於用人,是以士民見者,莫不盡心,樂為致死。劉繇棄軍遁逃,諸郡守皆捐城郭奔走。


(訳)

孫策の人となりは、容貌が美しく

笑語を好くし、性格は闊達で

話を聞き入れて受容し、善く人を用いた。


このため、

孫策に会った事のある士民で

彼に心を寄せぬ者はなく、

(孫策の為ならば)喜んで死のうとした。


劉繇が軍を放棄して遁走すると

諸郡を守衛していた者たちも皆

城郭を捨てて奔走してしまった。


(注釈)

イケメン、コミュ強、陽キャの孫策。


あんたのためなら死ねる!!!!

という人がいっぱいいました。




逃げ出した劉繇は豫章よしょうへと落ち延び、

劉繇はクズの笮融さくゆうを尖兵として

豫章を平定しようとしますが、

欲の皮が突っ張った笮融は

そのまま独立を目論んだため、

劉繇はもと部下と激突する羽目に陥り、

結局共倒れに終わりました。


笮融は、

陶謙とうけん(上司)

趙昱ちょういく(恩人)

薛礼せつれい(戦友)

劉繇(上司)

朱皓しゅこう(戦略的同盟者)


と、短期間のうちに5人もの人間を裏切り

うち3人を殺害しています。


ゲームで裏切り者の代名詞化している

呂布や魏延より、こいつの方が

よっぽどタチが悪い気がします。


好き勝手やっていた彼は

民衆の手にかかって

あえない最期を迎えます。


とんでもないヤツですが、

寺院を造営して

仏教を広めようとしていた(?)

姿勢だけは評価できるかもしれません。



晩年の孫権も仏教に傾倒してた感じがあり、

310年ごろ、西方から、

仏図澄ぶっとちょうという仏教徒がやって来て

彼は後趙の石勒せきろくに厚遇され、

彼の弟子の中に、中国仏教の基礎を固めた

釈道安しゃくどうあんが出ています。



一方孫策は、敵対していた

劉繇の遺骸を引き取って

遺族に返してあげたといいます。


きっと、孫堅パパが戦で命を落として、

棺に入って帰ってきたときのことを

思い出してたんじゃないのかな……


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