四、約束を反故にする袁術
4.
術初許策為九江太守,已而更用丹楊陳紀。後術欲攻徐州,從廬江太守陸康求米三萬斛。康不與,術大怒。策昔曾詣康,康不見,使主簿接之。策常銜恨。術遣策攻康,謂曰:「前錯用陳紀,每恨本意不遂。今若得康,廬江真卿有也。」策攻康,拔之,術復用其故吏劉勳為太守,策益失望。
(訳)
袁術は当初、孫策を
九江太守にする事を約束していたが、
後に改めて丹陽の陳紀を用いた。
その後、袁術が徐州を攻めようとした際
廬江太守の陸康に三万斛の米を求めたが
陸康は米を与えず、袁術は激怒した。
孫策はかつて陸康のもとを訪れたが
陸康は孫策に見えず、
主簿を遣って応接した。
孫策は常々この事を恨みに思っていた。
袁術は孫策を派遣して
陸康を攻撃させ、彼にこう謂った。
「以前誤って陳紀を任用したが、
いつも本意を遂げられぬことを
(孫策を太守にしてやれなかった事を)
残念に思っておったのだ。
今もし陸康を捕えたならば
廬江は今度こそ
本当に卿の所有地となる」
孫策は陸康を攻め、これを抜いたが
袁術はまたもやその故吏の
劉勲を太守に用いてしまい、
孫策はますます袁術に失望した。
(註釈)
袁術
「孫策くん、太守にしてあげるからね♪」
↓
袁術
「ごめん、間違えて他の人任命しちゃった」
↓
袁術
「生意気な陸康をやっつけてくれれば
今度こそ太守にするから!!」
↓
袁術
「ごめん、間違えて他の(ry」
たびたび約束を反故にする袁術に
孫策はイライラを募らせていきます。
孫策が袁術の傘下に入ったのが194年、
195年は各地を転戦して
手柄を立てているので
そこで九江太守に任じられる手筈に
なった流れだと思われますが、
これがお流れとなりました。
実情は、袁術もベテラン勢に
ポスト与えるのが精一杯で
孫策を顧みる余裕なんかなかったんでしょう。
孫策はまだ新入りだもんね。
蒼天航路だと、
孫策
「袁術さん、約束が違うじゃないすか」
袁術
「孫策、おまえはいくつだ」
孫策
「19です」
袁術
「19の太守なぞ聞いた事がない!」
というやり取りになっており
孫策が太守にしては若すぎるからという
取ってつけたような理由付けが
袁術の狭量ぶりをよく表してます。
徐州攻めのタイミング(196)
だと、孫策は22歳くらいですが、
孫堅パパは10代から補佐官やってたし
鄧禹なんかは24歳で三公だし
年齢は全然問題ないように思えます。
また、孫策は劉勲を
2度くらいに渡って攻撃してますが、
彼の伸長を抑える目的だけでなく、
この時、自分を差し置いて彼が
廬江太守に任命されたことを
恨みに思ってた……というのも
理由としてはあったかも。
陸康にもぞんざいに扱われた恨みを
キッチリ返しに行ってますし、
孫策はこう考えると
意外と執念深いのかもしれません。
もっと長生きしていたら、逆に
こうした性格の負の面が、より
前面に出ちゃってたかも?
ただ、孫策は保護した袁術の家族を
丁重に扱っていたような節があるので
やはりイメージほどには
袁術のことを嫌ってなかったと思います。