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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
193/603

三、みたび馬日磾

3.

太傅馬日磾杖節安集關東,在壽春以禮辟策,表拜懷義校尉,術大將喬蕤、張勳皆傾心敬焉。術常歎曰:「使術有子如孫郎,死復何恨!」策騎士有罪,逃入術營,隱於內廄。策指使人就斬之,訖,詣術謝。術曰:「兵人好叛,當共疾之,何為謝也?」由是軍中益畏憚之。



(訳)

太傅の馬日磾ばじつていは、節(専断権)を携え

関東を安撫して回っており、

寿春に在った時に、

礼を以って孫策を招辟しょうへき

上表して彼を懐義校尉かいぎこういに拝した。


袁術の大将の喬蕤きょうずい(橋蕤)・張勲ちょうくんらも

みな心を寄せ尊敬していた。


(孫策を?馬日磾を?)


袁術はいつも歎息して言っていた。


「私に孫郎(孫策)の如き子があれば

死んだとて何の悔いもないのだが……!」


(ある時)孫策の騎士が罪を犯して

袁術の陣営へ逃げ込んで

うまやの中へ隠れた事があった。


孫策は指図して人を遣ってこれを斬り、

事を終えると、袁術を詣でて陳謝した。


袁術は言った。


「兵士はよく離叛するもので、

我々はこれを憎むべきであろうに

どうして謝る事があるのかね?」


このことから、軍中ではますます

孫策を畏れ、憚るようになった。



(註釈)

呂布伝・袁術伝にも出てきた

馬日磾ばじつてい、字を翁叔おうしゅくが、みたび登場しました。


彼は袁術に脅されて、

孫策や華歆かきんをいいポストに就け

拘留されたまま憤死したとされます。



「術大將喬蕤、張勳皆傾心敬焉」


の部分、ちくま訳では

橋蕤きょうずい張勲ちょうくんが「孫策を」心から

尊敬していた……になってるんですが


「馬日磾を」尊敬してるような

感じにも読み取れます。


でもその直後に袁術が

孫策のことを褒めてるので、

文脈的にやっぱり孫策の事かな?



馬日磾が袁術の元を訪れたタイミングが

南陽にいた頃かもと思ってましたが

孫策が絡んでくるので、

寿春へ来た後でまず確定しました。


「英雄記」で呂布が

潁川えいせん太守になったタイミングと

同じ頃?


で。

劉繇りゅうようを揚州刺史に任じたり

王朗おうろうを会稽太守に任じたのも

馬日磾ってことでいいのかな??


そう考えると、当時の揚州の事情を

知る上で、彼は結構なキーマンです。



袁術は孫策を評して

「孫策みたいな子がいれば

何の悔いもなく死ねるんだがねぇ」

と言っており、


曹操は孫権のことを

「息子を持つならあんな子がいいな」

と称するなど、


孫堅の長男と次男の優秀さたるや

名だたる為政者達が羨ましがるレベルです。

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