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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫討逆(孫策)伝
192/603

註四、初陣は苦い記憶

註4.

江表傳曰:策徑到壽春見袁術,涕泣而言曰:「亡父昔從長沙入討董卓,與明使君會於南陽,同盟結好;不幸遇難,勳業不終。策感惟先人舊恩,欲自憑結,願明使君垂察其誠。」術甚貴異之,然未肯還其父兵。術謂策曰:「孤始用貴舅為丹楊太守,賢從伯陽為都尉,彼精兵之地,可還依召募。」策遂詣丹楊依舅,得數百人,而為涇縣大帥祖郎所襲,幾至危殆。於是復往見術,術以堅餘兵千餘人還策。


(訳)

江表伝にいう

孫策は真っ直ぐに寿春へと至り

袁術に見えて涕泣して述べた。


「亡父は昔、長沙に入り董卓討伐に従軍し

明使君《あなた様》と南陽にて会し、

同盟と好誼とを結びましたが

不幸にも危難に遭遇し、勲業を

全うする事が出来ませんでした。


私はひたすらに先人への旧恩に感じ入り

自ら付従致したく存じます。


願わくば明使君、私の誠心を

ご推察くだされますように」


袁術はこの事を甚だ奇特に思ったが

それでも孫堅の兵の返還を

肯んじる事はなかった。


袁術は孫策に謂った。


わたしは始め、貴方の舅どの(呉景ごけい)を

丹陽太守として用い、

伯陽(孫賁そんひ)を都尉に任命した。


かの地(丹陽)は精兵を輩出する土地柄だ。

一旦戻り、そこに依りて募兵するがよかろう」


孫策はかくして丹陽を詣でて呉景に依拠し

数百人を得たが、涇県けいけん大帥たいすい祖郎そろうから

襲撃され、殆ど全滅しかけるところであった。


こうして再び袁術のもとへ行って見え、

袁術は孫堅の余兵の千余りを

孫策に返してやった。



(註釈)

「江表伝」では、孫堅の死後

甥の孫賁が引き継いだ軍勢は

袁術に帰属した流れになっています。


孫賁本人が袁術の傘下に入ったので、

上司が部下の手勢管轄するのは

当然と言えば当然かもしれませんが……



ここで「丹陽たんよう」の地名が出てきましたが

曹操もかの地まで兵を集めに行ってたり、

劉備が公孫瓚こうそんさんから陶謙とうけん

鞍替えするきっかけになるなど、

強兵のメッカとして知られているようです。


袁術のススメによって、

そんな評判のある丹陽まで

兵を募りに行った孫策でしたが、

祖郎そろうという人物にやられて

全滅寸前まで追い込まれました。


この祖郎とかいう人物、

大師たいすい」と表記してあるのですが

張角ちょうかく許昌きょしょう(人間)のような

宗教指導者だったようです。


祖郎とはのちに2回戦っていずれも勝利し

さらに味方にしてしまっています。


初陣は酷い目に遭った孫策ですが

転んでもただでは起きません、

ここからは殆ど常勝無敗です。

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