註八、関羽と孫権
註8.
臣松之以為荊、吳雖外睦,而內相猜防,故權之襲羽,潛師密發。按呂蒙傳雲:「伏精兵於〔舟+冓〕〔舟+鹿〕之中,使白衣搖櫓,作商賈服。」以此言之,羽不求助於權,權必不語羽當往也。若許相援助,何故匿其形跡乎?
(訳)
わたくし松之の意見。
荊州(関羽)と呉(孫権)は
表向きは和睦関係にあったものの
内心では互いに疑い合っていた。
ゆえに孫権は関羽を襲撃しようと
秘密裏に軍を進発させたのである。
呂蒙伝にいうには
「精兵を冓鹿(輸送船)の中に伏せ、
商人の格好をさせた
市井の者に櫓を漕がせた」
この記述から言えば、
関羽は孫権に援軍など要請しておらず
孫権が自ら駆けつけるなどと
関羽に語ったこともない筈である。
もし互いに援助を求めていたなら
何故その形跡を隠すのであろうか?
(註釈)
呂蒙伝には関羽に気取られぬよう
秘密裏に兵を出したとあります。
本当に関羽と孫権が同盟関係にあれば
援軍を出すふりをして荊州に入り
騙し討ちでも何でもすればよかったんです。
隠すということは、
関羽と孫権がお互いを救援するような
関係ではなかったということです。
「コウロク」は漢字が難しすぎて
出ませんでしたが、舟に冓、鹿と書きます。
便宜的に冓鹿と表記しました。