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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第六、孫賁伝
185/603

註一、例外もいる

註1.

江表傳曰:袁術以吳景守廣陵,策族兄香亦為術所用,作汝南太守,而令賁為將軍,領兵在壽春。策與景等書曰:「今征江東,未知二三君意云何耳?」景即棄守歸,賁困而後免,香以道遠獨不得還。

吳書曰:香字文陽。父孺,字仲孺,堅再從弟也,仕郡主簿功曹。香從堅征伐有功,拜郎中。後為袁術驅馳,加征南將軍,死於壽春。


(訳)

江表伝にいう、

袁術は呉景ごけいに広陵を守らせ(太守とし)

孫策の族兄の孫香そんこうもまた

袁術に用いられ、汝南じょなん太守となったが

孫賁そんふんは将軍に任じられ

兵を統領して寿春に在った。


孫策は呉景らに書状を与えて言った。


「今、江東を征伐しようとしておりますが

いまだ諸君がどのようにお考えであるのか

判りかねておるのですが?」


呉景は即座に太守の座を捨てて帰順し、

孫賁は困却したが、後に(袁術から)免れた。


孫香は遠方にあり、一人だけ

帰ることが出来なかった。


呉書にいう、

孫香そんこうはあざなを文陽ぶんようという。

父の孫孺そんじゅはあざなを仲孺ちゅうじゅといい、

孫堅の再従弟(年下の従弟)であり

郡に主簿・功曹として仕えた。


孫香は孫堅の征伐に従って功績があり

郎中に拝された。


後に袁術のために奔走し

征南将軍を加えられたが

寿春で死んだ。


(註釈)

孫香なんて人がいるのは初めて聞きました。

字面的に、孫尚香のネタ元とか?


江表伝を読んでると、孫家の縁者が全員

袁術を見捨てたように書かれてますが、

孫香のように、最後まで袁術に

付き従った者もいるって事ですね。


孫氏は、みんな孫堅や孫策に

従って動いているのかと言われると

別段そんなことはないのです。


孫策も実際は、後世に膾炙している程には

袁術のことを見捨ててはいないと思ってます。


袁術よりも曹操の方が

勢いがありそうなのを見て

趨勢を窺ってるうちに袁術が死んだ、

というのがたぶん本当のところでしょう。

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