表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々三国志  作者: ンバ
呉書第六、孫賁伝
184/603

二、袁術を見限る

2.

為揚州刺史劉繇所迫逐,因將士衆還住歷陽。頃之,術復使賁與吳景共擊樊能、張英等,未能拔。及策東渡,助賁、景破英、能等,遂進擊劉繇。繇走豫章。策遣賁、景還壽春報術,值術僭號,署置百官,除賁九江太守。賁不就,棄妻孥還江南。


(訳)

(やがて孫賁は)

揚州刺史の劉繇りゅうように圧迫され

追い払われる所となり、

将兵や人々を率いて歴陽れきようへ戻った。


しばらくして、袁術は再び孫賁を派遣し

呉景ごけいと共同で樊能はんのう張英ちょうえいらを

攻撃させたが、抜く事はできなかった。


孫策が東へ渡るに及んで、

孫賁・呉景を援助して

樊能・張英を撃破し、

かくて劉繇のもとへ進撃した。


劉繇は豫章よしょうへ逃げ込んだ。




孫策は孫賁・呉景を遣って

寿春まで帰らせ、袁術に報告させた。


袁術が帝号を僭称すると

百官を処置し、

孫賁を九江太守に除した。


孫賁は太守に就任せず、

妻子を捨てて江南へ帰ってしまった。



(註釈)

孫堅の奥さんの呉夫人。

その、弟に当たるのが呉景ごけいです。


孫堅の義理の弟(呉景)

孫堅の甥(孫賁)

が、ともに孫堅の董卓討伐に従って

戦功を立てていたようであり、

この二人が、揚州時代の

袁術の主力っぽい雰囲気です。



揚州刺史にはもともと陳温ちんおんがいて、

後漢書では袁術が陳温を殺し、

英雄記では陳温が病死して、

揚州刺史は空位になりました。


袁術が任命した揚州刺史の陳瑀ちんうは、

陳珪ちんけいらと同族で、袁術アンチに回り……


劉繇りゅうようは、そんな情勢の中で

朝廷に任命された正式な揚州刺史です。

(といっても李傕りかく政権だけど)


立派な皇族、かつ、一族から

三公を輩出した事もある、超名門出でした。



当初は他でもない孫賁そんひ呉景ごけい

劉繇を曲阿きょくあに招いた……と

書かれているので、赴任した頃は別に

袁術とは敵対してなかったのですが、


明らかに朝廷を無視して

勝手に官職を配っている袁術を見て

黙って見過ごせなくなったのか、

後になって、袁術の息がかかった

孫賁(丹陽都尉)と呉景(丹陽太守)を

追い払ってしまいます。



劉繇の配下には、

豪傑、太史慈たいしじ、月旦評の許劭きょしょう

のちに孫呉で名を為す孫劭そんしょう是儀しぎ

滕胤とういんに連なる滕耽とうたん滕冑とうちゅう

もと陶謙の配下、笮融さくゆう薛礼せつれい

水戦に長けた張英ちょうえい樊能はんのう于麋うびなど

なかなかの陣容が整っており、


もし孫策という怪物さえ出現しなければ

袁術を抑えて揚州を支配するくらいの

ポテンシャルは、普通に持ってたと思います。



会稽太守の王朗おうろう諸共

劉繇を打ち破って

迅速に呉を平定した孫策は

そのまま独立に動いてゆきます。


袁術が皇帝になると

孫賁は九江太守に任命されますが

就任せず、出て行ってしまいました。


しかも妻子まで捨てて……

弟にあんなに優しかった人が

家族を捨ててしまうとは、

それほど袁術に愛想が尽きたんでしょうか。


なまじっか袁術に期待して援助しただけに

蓋を開けたら僭称する様な反逆者だった分

その落胆ぶりが凄まじそうです。


アンチの半分は元ファンと同じ理屈で

かくして、孫賁は袁術を見捨てました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ