註二十六、孫朗
註26.
吳錄曰:尊堅廟曰始祖,墓曰高陵。
志林曰:堅有五子:策、權、翊、匡,吳氏所生;少子朗,庶生也,一名仁。
(訳)
呉録にいう、
孫堅の廟号を尊んで始祖といい、
墓は高陵といった。
志林にいう、
孫堅には五子がおり
孫策・孫権・孫翊・孫匡は
呉氏の出む所で
少子の孫朗は庶生であった。
一名を、仁という。
(註釈)
前漢の劉邦は高祖高皇帝
後漢の劉秀は世祖光武皇帝
唐の李世民は太宗文武大聖大広孝皇帝
この○祖とか△宗の部分が廟号です。
孫堅は「始祖」武烈皇帝
劉備は「烈祖」昭烈皇帝
曹操は「太祖」武皇帝
というのが、廟号・諡号です。
孫堅には、孫策ら嫡子の他に
孫朗(孫仁)という庶子がいたようです。
陳寿の本文には出てこないので
取り立てて覚える必要は無さそうです。
劉備の妻になった孫夫人もいるので
孫堅には少なくとも
6人子供がいた事になります。
三国志演義では、姉の呉夫人が
孫策、孫権、孫翊、孫匡を生み
妹の呉国太が孫朗と孫仁を
生んだということになっています。
演義では、孫仁 = 孫夫人
裴註では、孫仁 = 孫朗の別名
なので、微妙に混乱します。
三國志11のチュートリアルだと
孫仁(孫尚香)が孫策から
一騎打ちの操作方法の
手ほどきを受けるヤツがありました。
めちゃくちゃ孫権がディスられてて
逆に面白いので、一見の価値ありです。