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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫破虜(孫堅)伝
181/603

註二十六、孫朗

註26.

吳錄曰:尊堅廟曰始祖,墓曰高陵。

志林曰:堅有五子:策、權、翊、匡,吳氏所生;少子朗,庶生也,一名仁。


(訳)

呉録にいう、

孫堅の廟号びょうごうを尊んで始祖といい、

墓は高陵といった。


志林にいう、

孫堅には五子がおり

孫策・孫権・孫翊・孫匡は

呉氏の出む所で

少子の孫朗そんろうは庶生であった。

一名を、仁という。


(註釈)

前漢の劉邦は高祖こうそ高皇帝

後漢の劉秀は世祖せそ光武皇帝

唐の李世民りせいみん太宗たいそう文武大聖大広孝皇帝


この○祖とか△宗の部分が廟号びょうごうです。


孫堅は「始祖」武烈皇帝

劉備は「烈祖」昭烈皇帝

曹操は「太祖」武皇帝


というのが、廟号・諡号です。



孫堅には、孫策ら嫡子の他に

孫朗(孫仁)という庶子がいたようです。


陳寿の本文には出てこないので

取り立てて覚える必要は無さそうです。


劉備の妻になった孫夫人もいるので

孫堅には少なくとも

6人子供がいた事になります。


三国志演義では、姉の呉夫人が

孫策、孫権、孫翊、孫匡を生み

妹の呉国太こごくたいが孫朗と孫仁を

生んだということになっています。


演義では、孫仁 = 孫夫人

裴註では、孫仁 = 孫朗の別名

なので、微妙に混乱します。


三國志11のチュートリアルだと

孫仁(孫尚香)が孫策から

一騎打ちの操作方法の

手ほどきを受けるヤツがありました。


めちゃくちゃ孫権がディスられてて

逆に面白いので、一見の価値ありです。

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