註十七・十八、孫堅の涙と伝国璽
註17.
江表傳曰:舊京空虛,數百里中無煙火。堅前入城,惆悵流涕。
(訳)
江表伝にいう、
古都(洛陽)は空虚となり、
数百里の間、煙火もなかった。
孫堅は進みて入城し、
惆悵して涙を流した。
(註釈)
惆悵は、嘆き悲しむという意味だそうな。
初めて見る単語ばっかりだ。
註18.
吳書曰:堅入洛,埽除漢宗廟,祠以太牢。堅軍城南甄官井上,旦有五色氣,舉軍驚恠,莫有敢汲。堅令人入井,探得漢傳國璽,文曰「受命于天,旣壽永昌」,方圜四寸,上紐交五龍,上一角缺。初,黃門張讓等作亂,劫天子出奔,左右分散,掌璽者以投井中。
山陽公載記曰:袁術將僭號,聞堅得傳國璽,乃拘堅夫人而奪之。
(訳)
呉書にいう、孫堅は洛陽に入ると
漢の宗廟を掃除し、
太牢(豚や牛の生贄)を以って祠った。
孫堅は、城の南部の
甄官井の付近に駐軍した。
明け方頃に五色の気があって
軍中は挙って驚き、敢えて
水を汲もうとする者はいなかった。
孫堅は人に命じて井戸に入らせ、
探索させて、漢の伝国璽を得た。
その文面には
「受命于天《命を天より受け》,既壽永昌《寿くして永昌ならん》」とあり、
方形で周囲は四寸、
上部の紐には五龍が交わり、
上面の一角は缺欠していた。
当初、黄門の張譲らが動乱を起こし
天子を脅して出奔したとき、
左右(側近)が分散し、
玉璽を掌中にしていた者が
井戸の中に投じたのである。
山陽公載記にいう、
袁術が帝号を僭称しようとすると
孫堅が伝国璽を得たことを聞き、
そこで、孫堅の夫人を捉えて
これを奪った。
(註釈)
井戸から五色の気が立ち昇ってたってのは
めっちゃ嘘くせぇええ。
たかだかハンコごときにそんな
オカルト現象が起こってたまるか。
単純に、そのへんに落っこちてたのを
拾っただけじゃないのかな。
「受命于天,既壽永昌」の文面は
始皇帝が李斯に命じて
伝国璽に刻ませたものだとか…….
ルビはちくま訳の丸写しです。
周囲サイズは4寸とあるので
9〜10cmくらいですかね。
三国志展で見てきた印璽のサイズからして
押印したときに一辺が
2cmちょっとって事で
間違いないと思います。
山陽公戴記で、袁術が呉夫人を捕えて
孫堅から伝国璽を奪うくだりは
後漢書の袁術伝に
取り込まれたようです。