八、泰然自若
8.
前到魯陽,與袁術相見。術表堅行破虜將軍,領豫州刺史。遂治兵於魯陽城。當進軍討卓,遣長史公仇稱將兵從事還州督促軍糧。施帳幔於城東門外,祖道送稱,官屬並會。卓遣步騎數萬人逆堅,輕騎數十先到。堅方行酒談笑,勑部曲整頓行陣,無得妄動。後騎漸益,堅徐罷坐,導引入城,乃謂左右曰:「向堅所以不即起者,恐兵相蹈藉,諸君不得入耳。」卓兵見堅士衆甚整,不敢攻城,乃引還。
(訳)
孫堅は進軍して魯陽へと到り、
袁術と相見えた。
袁術は上表して孫堅を破虜将軍に任じ
豫州刺史を領させた。
かくて魯陽城で兵の調練を行なった。
董卓討伐の軍を進めるに当たって
長史の公仇称を派遣して
兵を率いさせて荊州へ帰らせ
軍糧の督促に従事させた。
城の東の門外に幔幕を張って
公仇称の送別会が開かれ
属官はみな会同した。
(そんな折に)
董卓が歩兵・騎兵数万を派遣して
孫堅を逆撃し、軽騎の数十が
先駆けて魯陽へと到着した。
孫堅は酒席にあって談笑していたが
部曲(私兵)に陣を整頓させ、
妄りに動いてはならぬよう命じた。
次第に董卓の騎兵が増してくると
孫堅は徐に宴を中止して
人々を引き連れて入城し、
そこで左右(側近)の者に述べた。
「堅がすぐに起たなかったのは
兵が恐れて(我先に逃げようとして)
互いに踏みつけ合い、諸君らが
城に入れないのではないかと恐れたからだ」
董卓の兵は、孫堅の士卒が
甚だ整っているのを見ると、
思い切って城を攻めようとはせず
そのまま引き返していった。
(註釈)
同じ2点だピョン
(不意打ちが通じないキャプテン深津
孫堅に隙ができたとこを狙って
攻めてきたのだったら
董卓の戦術眼も流石ですが、
全く慌てない孫堅もまた素晴らしい。
大将がオタついてたら
みんな混乱しちゃいますからね。
のちに曹操が、
孫権の部隊が退却するときに
全く乱れていないのを見て
「息子を持つなら、孫権のような男がいい」
と驚嘆したとされますが、
受け継がれる孫家の将器、って感じがステキ。
後漢書袁術伝でも、
袁術が上表して孫堅を
豫州刺史に任じたとあります。
しかし陳寿は孫堅の伝に
孫豫州ではなく、孫破虜と
将軍位の方を銘じました。
(そもそも孫堅、と呼び捨てにしてる)
「豫州刺史」には劉備もなってるので
これも恐らく、正史に散りばめられた
蜀凄いぞアピールの一環かと思われます。