註九・十、荊州刺史王叡
註9.
江表傳曰:堅聞之,拊膺歎曰:「張公昔從吾言,朝廷今無此難也。」
(訳)
孫堅は董卓の専横を聞いて
胸を叩いて歎息して述べた。
「張公(張温)がむかし、
吾の言うことに従っていれば
朝廷は今、このような災難に
遭っていなかったものを」
(註釈)
脚色っぽいですが
186年の時点で、董卓を危険視していた
孫堅だから言えるセリフですね。
一番董卓の打倒に拘っているのも
彼だったと思います。
註10.
案王氏譜,叡字通耀,晉太保祥伯父也。
吳錄曰:叡先與堅共擊零、桂賊,以堅武官,言頗輕之。及叡舉兵欲討卓,素與武陵太守曹寅不相能,楊言當先殺寅。寅懼,詐作案行使者光祿大夫溫毅檄,移堅,說叡罪過,令收行刑訖,以狀上。堅即承檄勒兵襲叡。叡聞兵至,登樓望之,遣問欲何為,堅前部荅曰:「兵乆戰勞苦,所得賞,不足以為衣服,詣使君更乞資直耳。」叡曰:「刺史豈有所吝?」便開庫藏,使自入視之,知有所遺不。兵進及樓下,叡見堅,驚曰:「兵自求賞,孫府君何以在其中?」堅曰:「被使者檄誅君。」叡曰:「我何罪?」堅曰:「坐無所知。」叡窮迫,刮金飲之而死。
(訳)
王氏譜を参照したところ、
王叡はあざなを通耀といい
晋の太保の王祥の伯父である。
呉録にいう、
王叡は以前孫堅と共同して
零陵・桂陽の賊を撃ち、
孫堅を武官だとして、彼を
頗る軽んじた言葉を吐いていた。
王叡が董卓を討伐しようと
挙兵するに及んで、
素より武陵太守の曹寅と
互いに不仲であったことから
先に曹寅を殺すことを宣揚した。
曹寅は懼れて、
案行使者・光祿大夫の温毅の檄文を
偽造して孫堅に送り、王叡の罪過を説いて
彼を捕えて刑罰に処し、
その罪状を上告するように命じた。
孫堅はすぐに檄文を奉じ
兵を整えて王叡を襲撃した。
王叡は兵がやって来たと聞いて
楼に登ってこれを望見し、
要求は何かと尋ねた。
孫堅の前衛の部将が返答した。
「兵は長く戦って労苦しておりますのに、
恩賞を得られず、衣服を
作るのにも(お金が)足りません。
使君(王叡)を詣でたのは、
改めて実費を乞おうとしただけです」
王叡は言った。
「刺史がどうしてそんな
吝な真似をしようか?』
ただちに庫蔵が開かれ
使いが自ら入りてこれを視察し、
残っている物はないことが判明した。
兵が楼の下へと進むに及んで
王叡は孫堅を見つけ、驚いて言った。
「兵が独自に恩賞を求めてやって来たのに
孫府君《孫堅どの》がなぜその中にいるのだ!?」
孫堅は言った。
「案行使者の檄文を被りまして、
あなたを誅殺するためです」
王叡は言った
「私に何の罪が!?」
孫堅は言った。
「坐して(私の)知る所ではない」
王叡は窮迫し、
金を削ってこれを飲み、死んだ。
(註釈)
まるで演劇のようなやり取りですね。
2人の会話は
王叡
「私に何の罪があるのだ!?」
孫堅
「知ったことか!」
こう解釈したんですが、
筑摩訳だと
「居ながらにして知らなかった」
↓
「事態を看過したからだ」
という風に訳してました。
「知らなかった」の主語は
孫堅なのか、王叡なのか?
某ホラーゲーム(の漫画版)の
ナレーションのように
「まだ罪がわかりませんか?
それこそが、あなたの罪なのです」
って感じの文脈なのかな?
檄文を偽造する曹寅も
思い切った事をやりましたが、
孫堅はほんと即断即決って感じですね。
王叡はあっけなく退場しましたが、
彼の族孫の王導は、東晋の時代に
三本の指に入る名宰相となります。