註七・八、長沙の雄孫堅
註7.
魏書曰:堅到郡,郡中震服,任用良吏。勑吏曰:「謹遇良善,治官曹文書,必循治,以盜賊付太守。」
(訳)
魏書にいう、孫堅が長沙に至ると
郡中は震え慄き、彼に服属した。
孫堅は能吏を任用し、
役人らに命を下して述べた。
「良民を謹んで厚遇せよ。
官曹(役所)は、文書によって治め
必ずや遵法せよ。
盗賊は太守に回付せよ」
(註釈)
魏の史官(王沈)から見ても
孫堅はリスペクトされてる雰囲気ですね。
・民を大事に
・法を守れ
・盗賊は送れ
ドラクエの作戦と見紛うばかりの
簡潔明瞭ぶりですよ。
孫堅の言動は基本、簡潔でわかりやすく
竹を割ったようにさっぱりした性格が
にじみ出てるような気がします。
劉邦が、秦の苛酷な法を除いて
三つだけの簡単な法律を制定した
場面にちょっと似てるかも。
下邳周辺で補佐官を
歴任していた頃の経験が
長沙を治めるのに生きてそうな感じ。
荊州の南の方はまだまだこの頃
未開のフロンティアという印象です。
やはり都から遠くなるほど
禍乱なく治めるの難しくなりますもん。
孫堅の仕事は、地方の反乱の平定で
董卓と大体は同じポジションになります。
盗賊は独自に処分せずに
私のもとに送ってこい……ってことは
あわよくば、反乱分子を味方に
組み入れるつもりなんでしょうかね。
ここが、魏の人の視点っぽいと思いました。
註8.
吳錄曰:是時廬江太守陸康從子作宜春長,為賊所攻,遣使求救於堅。堅整嚴救之。主簿進諫,堅荅曰:「太守無文德,以征伐為功,越界攻討,以全異國。以此獲罪,何媿海內乎?」乃進兵往救,賊聞而走之。
(訳)
呉録にいう、
この時、廬江太守の陸康の従子《甥》が
宜春の長に就いており、
賊を攻撃するに当たって
使いを遣って孫堅に救援を求めて来た。
主簿が進み出て諌め、
孫堅は答えて言った。
「太守に文徳はなく、
賊の征伐によって功を立てて来た。
郡界を越えて賊を攻め滅ぼし、
異国を全うする!
これで例え罪を得ようとも、
どうして海内に恥じる事があろうか!」
こうして、兵を進めて救援に赴き、
賊は孫堅の援軍が来ると聞いて
逃げ出してしまった。
(註釈)
気っ風の良さがカッコイイわぁ。
自分の言動に納得があれば
例えどんな結果になっても悔いなし、
ここ、すっっごい共感できました。
孫堅のファンになりそうです。
陸家は呉の四姓と呼ばれる
呉会方面の有力豪族です。
劉備にトドメを刺した呉のエースの陸遜は
この家の傍系の出身であり、
ここで登場した陸康の孫の世代に当たります。
三国志に列伝されてる人物の中で、
単独の伝を与えられているのは
諸葛亮と陸遜のたった二人のみで、
陳寿はおそらく
「つまらない奴に大敗したとあっては
劉備様の格が落ちてしまう、
陸遜はリスペクトの方向で行こう」
ってスタンスで、彼のことを
特別待遇にしたのだと思われます。
これよりのち、
袁術が徐州を攻めようとしたとき
陸康に兵糧の無心を断られ、
孫策に命じて陸康を殺害させました。
陸家と孫家には遺恨が残る事になりましたが
陸遜はそんな経緯の中で
蟠りを捨てて孫権に仕えました。
そのへんの事情もうちょっと
よく教えて欲しい!!