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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫破虜(孫堅)伝
157/603

四、黄巾討伐

4.

漢遣車騎將軍皇甫嵩、中郎將朱儁將兵討擊之。儁表請堅為佐軍司馬,鄉里少年隨在下邳者皆願從。堅又募諸商旅及淮、泗精兵,合千許人,與儁并力奮擊,所向無前。汝、潁賊困迫,走保宛城。堅身當一面,登城先入,衆乃蟻附,遂大破之。儁具以狀聞上,拜堅別部司馬。



(訳)

漢は、車騎将軍の皇甫嵩こうほすう

中郎将の朱儁しゅしゅんを遣って

兵を率いさせ、黄巾を討伐させた。


朱儁は上表して孫堅を自軍の

佐軍司馬に任じることを請い、

郷里の若者で(孫堅に)付き随って

下邳にあった者は皆、

従軍することを願い出た。


孫堅は一方、旅の諸商人及び

淮水・泗水で精兵を募って

合わせて千人を集めて、

朱儁とともに力を合わせて

奮戦して敵を撃ち、

向かうところ敵なしであった。


汝南・潁川の賊を圧迫し、

(賊は)敗走して宛城を保った。


孫堅は自ら賊に当たる一方で

先んじて城壁に登って入城し

孫堅の手勢もそこで蟻附(大挙)して

遂に黄巾を大破した。


朱儁は聞こえてきた戦況を具上して

孫堅は別部司馬に拝された。




(註釈)

皇甫嵩こうほすう、字は義真ぎしん

朱儁しゅしゅん、字は公偉こうい

両者とも後漢の誇る名将です。


王朝は、

黄巾が多かった豫州よしゅうに皇甫嵩と朱儁、

冀州きしゅう慮植ろしょくや董卓を派遣して

討伐に当たらせたようです。


慮植は賄賂を送らなかったために

更迭されてしまうなど、後漢王朝の腐敗が

見え隠れするのが悲しかったです。



孫堅は潁川を攻略中の朱儁に合流し、

(朱儁と孫堅は出身州が同じ)

彼を慕う若者たちや、行商人、

淮水・泗水で集めた精兵を率いて

黄巾党をバッタバッタとなぎ倒します。


大将自らどんどん前に出る

イケイケな性格で、

部下たちも「孫将軍に続けー!!」

って感じで、そりゃ士気上がるわよね。


でもさすがに危険が過ぎます。



演義では、

程普ていふ、字は徳謀とくぼう韓当かんとう、字は義公ぎこう

黄蓋こうがい、字は公覆こうふく祖茂そも、字は大栄だいえいの四人が

宿将として孫堅四天王と呼ばれてます。


正史では、程普が黄巾の乱の時から

孫堅軍に加わっていたのは確定ですが、

他の三人は不明瞭です。


正史の祖茂はあざな不明、

演義では華雄かゆうにやられてしまいますが

韓当ら三人は長く活躍します。

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