三、黄巾の乱
3.
中平元年,黃巾賊帥張角起於魏郡,託有神靈,遣八使以善道教化天下,而潛相連結,自稱黃天泰平。三月甲子,三十六萬一旦俱發,天下響應,燔燒郡縣,殺害長吏。
(訳)
中平元年(184年)、
黄巾賊の総帥の張角が魏郡で決起した。
神霊のお告げが有った事に託け、
八人の使者を遣わして天下に
善道の教化を行い、
密かに互いに連結して
(漢王朝の蒼天に代わる)
黄天(が立って)
泰平(が実現する事)を標榜した。
三月甲子、
三十六万が時を同じくしてともに発し、
天下は饗応して郡県を焼き払い、
(各県の)長官は殺害された。
(註釈)
一気に12年も飛んで、
戦乱のターニングポイントとされる
農民反乱、黄巾の乱が起こります。
蒼天已死 黃天當立
歲在甲子 天下大吉
というスローガンをもとに
太平道の教祖、張角が
数十万の信徒とともに、
後漢王朝に反乱を起こしました。
400年続いた漢王朝ののち
400年の長い戦乱の幕開けです。
五行説に従って王朝が移り変わっていく話を
袁術が即位したくだりでしましたが、
火徳の漢王朝に代わるのは土徳で、
土徳のシンボルカラーは黄色です。
反漢の象徴として、黄色い頭巾を
頭に巻いてたことから、
彼らは黄巾党と呼ばれております。
(一説によれば、ウコンによって
黄色く塗ってたとか)
当時、清流派と呼ばれる知識人層と
濁流派と呼ばれる宦官とが対立し、
「党錮の禁」と呼ばれる
出仕禁止令が出されていましたが
黄巾の乱が起こるに及んで解除され、
中央政府から弾き出されていた士大夫達が
勇躍する契機をも同時に作りました。
詳細は後漢書の皇甫嵩と
朱儁の列伝に詳しいです。
孫堅は黄巾の乱の時ちょうど30歳で
孫策10歳、孫権3歳です。