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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第一、孫破虜(孫堅)伝
154/603

註二・三、越王と三県の補佐

註2.

靈帝紀曰:昌以其父為越王也。


(訳)

霊帝紀にいう、

許昌はその父親を越王の位に就けた。



(註釈)

で??


って感じですね。



許昌(人間)も皇帝を自称した割には

史料が少なすぎてよくわかりません。


後漢書にも大した情報がありませんでした。



袁術も、エリートじゃなかったら

こんな感じの雑な扱いだったのかな…………


宗教的な反乱事件が起きたってことは

後々、黄巾の乱に繋がるきっかけとして

もうちょっと大々的に扱っても

いいんじゃないかと思うんですが。


註3.

江表傳曰:堅歷佐三縣,所在有稱,吏民親附。鄉里知舊,好事少年,往來者常數百人,堅接撫待養,有若子弟焉。


(訳)

江表伝こうひょうでんにいう、

孫堅は三つの県の補佐官を歴任し、

所在では称賛されており、

吏民は彼と親しく付き合った。


郷里の旧知の者や、好事家こうずかの少年で

往来する者は常に数百人おり、

孫堅が彼らを接待することは

まるで自分の子弟の若くであった。



(註釈)

「好事少年」て字面から

ちょっと変な想像をしたのワシだけ?


志のある若者、って感じなんですかね。



しかしさすがは孫堅、

袁術伝と比べるとage記事ばっかりです。


孫堅は強い、頭いい、度胸も人望もある、

ここまで見てきた限りでは

ケチのつけ所がありません。


呉の支配者についての注釈は

この江表伝からの引用がとても多いです。


有名な、孫策と周瑜の

「断金の交わり」なども江表伝由来です。

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