註二・三、越王と三県の補佐
註2.
靈帝紀曰:昌以其父為越王也。
(訳)
霊帝紀にいう、
許昌はその父親を越王の位に就けた。
(註釈)
で??
って感じですね。
許昌(人間)も皇帝を自称した割には
史料が少なすぎてよくわかりません。
後漢書にも大した情報がありませんでした。
袁術も、エリートじゃなかったら
こんな感じの雑な扱いだったのかな…………
宗教的な反乱事件が起きたってことは
後々、黄巾の乱に繋がるきっかけとして
もうちょっと大々的に扱っても
いいんじゃないかと思うんですが。
註3.
江表傳曰:堅歷佐三縣,所在有稱,吏民親附。鄉里知舊,好事少年,往來者常數百人,堅接撫待養,有若子弟焉。
(訳)
江表伝にいう、
孫堅は三つの県の補佐官を歴任し、
所在では称賛されており、
吏民は彼と親しく付き合った。
郷里の旧知の者や、好事家の少年で
往来する者は常に数百人おり、
孫堅が彼らを接待することは
まるで自分の子弟の若くであった。
(註釈)
「好事少年」て字面から
ちょっと変な想像をしたのワシだけ?
志のある若者、って感じなんですかね。
しかしさすがは孫堅、
袁術伝と比べるとage記事ばっかりです。
孫堅は強い、頭いい、度胸も人望もある、
ここまで見てきた限りでは
ケチのつけ所がありません。
呉の支配者についての注釈は
この江表伝からの引用がとても多いです。
有名な、孫策と周瑜の
「断金の交わり」なども江表伝由来です。




