註八、ハチミツなめたい
註7.
吳書曰:術旣為雷薄等所拒,留住三日,士衆絕糧,乃還至江亭,去壽春八十里。問廚下,尚有麥屑三十斛。時盛暑,欲得蜜漿,又無蜜。坐櫺牀上,歎息良乆,乃大咤曰:「袁術至於此乎!」因頓伏牀下,嘔血斗餘,遂死。
(訳)
呉書にいう、
袁術は雷薄らに拒まれた後、三日駐留して
士卒の食料が尽きてしまい、
そこで江亭へと逃げ帰り
(江亭は)寿春から八十里離れていた。
厨下(給仕係)に問うと、
まだ麦クズが三十斛残っていた。
この時は盛暑であり、
袁術は蜜漿(蜂蜜入りの水)を欲したが
蜂蜜もまた無く、櫺の寝台の上に座って
しばらく溜息をついていたが
やがて大声で怒鳴って言った。
「袁術ともあろうものが
このような事になるとは!!」
俄かに寝台の下に伏せて
一斗余りの血を吐き出して
かくして死んだ。
(註釈)
櫺は筑摩訳だと楸になってました。
初めて見たわいこんな漢字。
最期の場面において
ハチミツを欲しがっていたことから
袁術はよく「ハチミツ皇帝」だの
「ハチミツ閣下」などと
三国志ファンから親しみと
侮蔑の念を込めて呼ばれています。
後漢〜魏晋基準で
1合は0.2㎗、1升は2㎗、
1斗は2ℓ、1斛(石)は20ℓであり、
現代とそんなに変わりません。
張魯の五斗米道は、信者に
五斗の米を収めさせてましたが
五斗は10ℓ=10kgの米俵
ってことになります。
給仕係が麦クズが30斛と言ってるので
袁術に残された食糧は600ℓぶん、
単純に1ℓ1kgとして
食料は1111人分ですね。
思ったより残ってるじゃん?
と思いましたが、
呂布に「20万斛あげる」とか
言ってた頃に比べると
落ちも落ちたりって感じです。
20万斛は現代の2222万合に当たるので
74万人分の1日の食糧に相当します。
呂布の手勢が3000とすると
袁術が20万斛お米をくれれば
8ヶ月も食べていける!!
そんな単純な計算じゃないでしょうが…
趙雲別伝では
「数千万嚢の米を輸送した」とか
書かれてましたが、
あそこの記述デタラメなのかな
マジなのかな……