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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第六、袁術伝
146/603

(後漢書)六、袁紹と元サヤ

後漢書6.

術雖矜名尚奇,而天性驕肆,尊己陵物。及竊偽號,淫侈滋甚,媵御數百,無不兼羅紈,厭粱肉,自下飢困,莫之簡卹。於是資實空盡,不能自立。四年夏,乃燒宮室,奔其部曲陳簡、雷薄於灊山。復為簡等所拒,遂大困窮,士卒散走。憂懣不知所為,遂歸帝號於紹,曰:「祿去漢室久矣,天下提挈,政在家門。豪雄角逐,分割疆宇。此與周末七國無異,唯彊者兼之耳。袁氏受命當王,符瑞炳然。今君擁有四州,人戶百萬,以彊則莫與爭大,以位則無所比高。曹操雖欲扶衰獎微,安能續絕運,起已滅乎!謹歸大命,君其興之。」紹陰然其計。


(訳)

袁術の誇り高き名望は

なお稀なものだったとはいえ、

彼は生来驕慢で奔放な性格であり

自身を尊んで、他者を侮っていた。


密かに帝号を偽称するに及んで

贅沢や淫行はますます激しくなり、

媵御(側室)の数百は

羅紈らがん(立派な着物)に

身を包まぬことはなく、

肉と米は飽きるほど余って

下々の者は自ずと飢えて困窮していたが

袁術は彼らを疎かにして憐れまなかった。


こうして物資の実入りは盡く空となって、

自立することが出来なくなった。


建安四年(199年)夏、

こうして宮室を焼き払い、

その部曲で、灊山せんざんにいた

陳蘭・雷薄のもとへ奔った。


またもや陳蘭らによって拒まれて

かくて袁術は大いに困窮してしまい

士卒はばらばらになって逃げ出した。


憂悶して身の置き所がわからなくなり、

こうして、袁紹に帝号を譲ろうとして述べた。


「天の恵みは漢王室から離れて久しく、

天下の者の手を借りて

(ようやく成り立っている状態で)

政治の実権は家門に在り、

豪傑たちは互いに争い

領地を奪い合っています。


この事態は周末期に

七国が割拠していたことと変わりなく

ただ強者が併合するのみです。


袁氏が天命を受けて王者となる事は、

符瑞ふずい(吉兆)に炳然へいぜんと顕れています。


今、君は四つの州を有し、

人戸は百万を擁しており、

その強大さは他の追随を許さず、

その位の高さは比類なきものです。


曹操は衰微した漢王室を

扶助しようとしておりますが、

どうして命運の絶えたものを存続させ

已に滅亡したものを救う事が出来ましょう」


袁紹は密かに袁術の計画に賛同した。


(註釈)

董卓の死に端を欲した群雄割拠の情勢も

199年頃になるとだいぶ収束し、

公孫瓚こうそんさん・呂布・李傕りかく張楊ちょうようらが滅んで

中原に鹿を逐う覇権争いは

曹操と袁紹の二強に絞られてきます。


袁術の立場になってみれば、

袁紹と曹操のどちらにつくかとなったら

やはり血族の袁紹が妥当でしょう。

それでなくても、

曹操には複数回にわたって

ボコボコにされているので。


袁紹の方もどうやら

袁術を迎え入れることに

満更でもなさそうな態度でしたが、

曹操は劉備と朱霊しゅれいを派遣して

袁術のジャマをさせます。


結果、曹操は

袁術を倒す事には成功しましたが

劉備に独立の機会を与えてしまうのでした。



劉備という男は

彼が主人公の作品だと気付きませんが

敵に回すとこれほど嫌な相手は

いないんじゃないかと思えます。

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