五、仲帝野垂れ死に
三国志5.
以九江太守為淮南尹。置公卿,祠南北郊。荒侈滋甚,後宮數百皆服綺縠,餘粱肉,而士卒凍餒,江淮間空盡,人民相食。術前為呂布所破,後為太祖所敗,奔其部曲雷薄、陳蘭於灊山,復為所拒,憂懼不知所出。將歸帝號於紹,欲至青州從袁譚,發病道死。
(訳)
九江太守を淮南尹とした。
公卿を置き、南北の郊を祀った。
奢侈はますます激しくなり、
後宮の数百は皆
綺縠(綾のある薄衣)を纏い
米と肉は有り余っていたが
士卒は凍え飢え、
長江・淮水の間は盡く空になり
人民は互いに喰らい合った。
袁術は先に呂布によって破られ
後に太祖によって敗れて
その部曲で、灊山にいた
雷薄・陳蘭のもとへ奔ったが
またもや拒まれてしまい、
憂懼して身の置き所もわからなかった。
袁術は、帝号を袁紹に譲ろうとし、
青州へ向かい、袁譚に従おうとしたが
発病して、道中で死んだ。
(註釈)
199年夏
仲帝袁術、まさかの野垂れ死に。
三国志の袁術伝、
これが陳寿のスタイルとはいえ
あまりにもちょっと簡潔すぎます。
裴註でもう少し
詳しい経緯が語られています。
袁術には食糧が有り余ってるのに
士卒と民は飢えて
互いに喰らい合ってるとか
ここの描写だけ見れば
滅ばないわけがないですね。
反目し合ってた袁紹と袁術ですが、
袁術は最後の最後にはやはり
身内の袁紹を頼ろうとしたんですね。
袁紹のこと、奴隷野郎とか言っときながら
今更すぎる感が否めませんが
初めっから仲良くできてれば
もうちょっと早く戦乱の時代終わったんじゃ?