(後漢書)四、孫策からの絶縁状
後漢書4.
自孫堅死,子策復領其部曲,術遣擊楊州刺史劉繇,破之,策因據江東。策聞術將欲僭號,與書諫曰:「董卓無道,陵虐王室,禍加太后,暴及弘農,天子播越,宮廟焚毀,是以豪桀發憤,沛然俱起。元惡既斃,幼主東顧,乃使王人奉命,宣明朝恩,偃武修文,與之更始。然而河北異謀於黑山,曹操毒被於東徐,劉表僭亂於南荊,公孫叛逆於朔北,正禮阻兵,玄德爭盟,是以未獲從命,櫜弓戢戈。當謂使君與國同規,而舍是弗恤,完然有自取之志,懼非海內企望之意也。成湯討桀,稱『有夏多罪』;武王伐紂,曰『殷有重罰』。此二王者,雖有聖德,假使時無失道之過,無由逼而取也。今主上非有惡於天下,徒以幼子脅於彊臣,異於湯武之時也。又聞幼主明智聰敏,有夙成之德,天下雖未被其恩,咸歸心焉。若輔而興之,則旦、奭之美,率土所望也。使君五世相承,為漢宰輔,榮寵之盛,莫與為比,宜效忠守節,以報王室。時人多惑圖緯之言,妄牽非類之文,苟以悅主為美,不顧成敗之計,古今所慎,可不孰慮!忠言逆耳,駮議致憎,苟有益於尊明,無所敢辭。」術不納,策遂絕之。
(訳)
孫堅が死ぬと、子の孫策が
再度父の部曲(私兵)を統領し、
袁術は孫策を派遣して
揚州刺史の劉繇を攻撃させこれを破り、
孫策はこの功に因り江東を占拠した。
孫策は、袁術が帝号を
僭称しようとしているのを聞き、
書状を与えて諫めて述べた。
「董卓は無道で、王室を陵虐し
太后様(霊帝の何皇后)に禍を加えて、
その暴威は弘農王(少帝)にまで及び、
天子(献帝)は流浪なされて
宮廷は焼き払われて損なわれ
豪傑達は発憤し、沛然として
共に決起しました。
元凶(の董卓は)すでに斃され
幼主は東方(洛陽)を顧みられて、
乃ち、王人に命を奉じさせ
天子の恩恵を宣明され
武器をしまい(戦争を止め)文を修めらて、
これらを与え賜うて
新たに(治世を)始められました。
しかし、河北(袁紹)は
黒山の賊と密謀しており、
曹操は東部の徐州に害毒を被らせ、
劉表は荊州の南部を密かに乱し、
公孫瓚は湖北に於いて反逆し、
正礼(劉繇)は揚州を兵力で抑え、
玄徳(劉備)は徐州の盟主を争って、
このような状況の中で、
いまだ君命に従って、弓をしまい
矛を納める事が出来ずにおります。
当然使君(袁術)は、国家とともに
規を同じくすべきですのに
これを捨てて哀れまずに、
完全に自立の志を持たれ
海内の人々が請い願う意思に
沿われぬことを懼れます。
成湯(殷の創始者)は夏の桀王を討ち
『夏には多くの罪がある』と称し、
周の武王は殷の紂王を伐ち
『殷には重い罰がある』と称しました。
この二人の王者は、聖徳を有すると雖も
もし当時の失政の災いが無ければ
理由なく(その勢いに)逼迫して
国を取ることもありませんでした。
今、主上は天下に悪事を有さず、
ただ幼きゆえに強臣に脅かされていただけで
湯王・武王の時とは異なっています。
また、幼主は明智かつ聡敏であられ
夙成(早成)の徳を持たれ
天下は未だその恩徳を被っていないと雖も
尽くその心は帰服しております。
もし(幼主を)輔弼しこれを隆興させれば
周公旦・召公奭の美点に則ることとなり
(ともに太公望呂尚と並ぶ周建国の名臣)
天下の者全てが望む所です。
使君は五世代相受け継いで
漢室の宰相として輔翼し
栄誉は龍の如き勢いであり
これに比する者はなく、
宜しく忠義を尽くし節を守り
王室に報いるべきです。
時の人の多くは
讖緯の言葉を図りて困惑し
類を見ない文章を挙って妄信し
仮にも主を悦ばせ美を為すのに
成敗の計を顧みぬことは
古今が慎む所であり、
熟慮なさらずによいものでしょうか!
忠言は耳に逆らい
駮議を憎まれましょうが
仮にも尊明に益があり、
敢えて辞する所ではございません」
袁術は聞き入れず、
孫策はかくて彼と絶縁した。
(註釈)
孫策、文章うまいなぁ……♪♪
と思いましたが、
呉録によるとこれは
張紘が代筆したものだそうで。
(呉録とかなり文書の内容違うけど)
ここでは、
孫策から見て印象が強い順に
群雄の名前を挙げてるっぽいので
孫策の評価は
袁紹>曹操>劉表>公孫瓚>(壁)劉繇>劉備
ってことになるんですかね。
呂布に至っては挙がらない、と……w
演義では、逆に曹操が
英雄を論じていますが、
袁術は「骨塚のしゃれこうべ同然」
袁紹は「上辺ばかりの小心者」
劉表は「虚名ばかりの男」
劉璋は「死んでも主人の側を離れぬ番犬」
孫策は「親の威厳あっての若造」
張繍・張魯・韓遂は「論外」
と、なかなかの酷評を寄せる中
「英雄というものは、胸に大志を抱き
腹中に謀を秘め、宇宙をも包む豪気と
天地を併呑する志を持つものよ。
天下に英雄と呼べるのは、
すなわち貴公(劉備)とこの私だ」
と、劉備を大絶賛します。
曹操に「英雄って誰だと思う?」
と聞かれて、頑なに
曹操の名前を挙げない劉備
イジワルすぎない?と思う名場面です。
袁紹をけなして劉備を褒める部分は
先主伝本文にもあります。
孫策と袁術の話に戻りますが、
手紙の内容を要約すると、
殷や周が興った時のように、
為政者がひどい失態を犯したわけでもなく
献帝はまだ若い(当時12〜17歳)ために
董卓の強勢に怯えていただけで、
ようやく元凶の董卓が滅んで
思いを新たに治世を始めようとしてるのに
袁術が帝として立つ正当性がない、
ましてやあんたの家は、五世代に渡って
漢室を補佐してきた名門じゃないですか。
やめなさいよ、考え直した方がいいって。
って感じです。
ド正論じゃない??
魏から見たら曹操の敵、
蜀から見たら劉備の敵、
漢から見たら反逆者、
呉から見たら孫堅を利用して死なせ、
孫策に切られた馬鹿扱いで
どの王朝から見ても、
袁術は皇帝になろうとしてコケた敗者です。
それだけに、どうしても
負のバイアスがかかっているような
そんな気になってしまいます。