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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第六、袁術伝
140/603

四、帝位僭称

三国志4.

興平二年冬,天子敗於曹陽。術會羣下謂曰:「今劉氏微弱,海內鼎沸。吾家四世公輔,百姓所歸,欲應天順民,於諸君意如何?」衆莫敢對。主簿閻象進曰:「昔周自后稷至于文王,積德累功,參分天下有其二,猶服事殷。明公雖弈世克昌,未若有周之盛,漢室雖微,未若殷紂之暴也。」術嘿然不恱。用河內張烱之符命,遂僭號,


(訳)

興平二年(195年)の冬、

天子は曹陽に於いて(李傕らに)敗北した。


袁術は配下の者達を集めて謂った。


「今、劉氏が衰微し海内は鼎沸ていふつしておる。

我が家系は四代に渡って三公を輩出し

百姓から頼りにされており、

天意に応じ、民の期待に順じたい

(皇帝に即位したい)と思うが、

諸君らはどのように考えておるのか?」


誰も思い切って答えられなかったが、

主簿の閻象えんしょうが進み出て言った。



「昔、周は后稷こうしょくから文王に至るまで

徳を積み功をかさねて

天下の三分の二を有しながらも

なおいんに従服しておりました。


明公(袁術)は代々繁栄されておりますが

いまだ周の隆盛には及ばず、

漢室が衰えたと雖も、いまだ

殷の紂王ちゅうおうの若くの暴虐には

至っておりません」


袁術は黙りこくって

不愉快な様子であった。


河内の張烱ちょうけいの符命を用いて

とうとう帝号を僭称した。(197年)


(註釈)

主簿の閻象えんしょうは、日本語読みでは

袁紹と同じ響きなので紛らわしいですね。



197年に袁術は皇帝に即位しましたが

後漢の献帝がまだ健在です。


袁術は献帝を完全にスルーしているのか、

はたまた後から禅譲を迫る気でいたのか、

定かではありません。

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