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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第六、袁術伝
136/603

註二、陳温

註2.

臣松之案英雄記:「陳溫字元悌,汝南人。先為楊州刺史,自病死。袁紹遣袁遺領州,敗散,奔沛國,為兵所殺。袁術更用陳瑀為楊州。瑀字公瑋,下邳人。瑀旣領州,而術敗於封丘,南向壽春,瑀拒術不納。術退保陰陵,更合軍攻瑀,瑀懼走歸下邳。」如此,則溫不為術所殺,與本傳不同。


(訳)

わたくし松之が英雄記を参照したところ、


「陳温は字を元悌げんていといい、汝南の人である。

先に揚州刺史となったが、自ずから病死した。


袁紹は袁遺えんいを遣わして

揚州を領させたが、敗北して散開し

沛国へ奔り、兵に殺されてしまった。


袁術は改めて陳瑀ちんうを用いて

揚州(刺史)とした。

陳瑀は字を公瑋こういといい、下邳の人である。


陳瑀が揚州を領したのち、

袁術は封丘に於いて(曹操に)敗北し

南方の寿春じゅしゅんへと向かったが

陳瑀は袁術を拒んで揚州へ入れなかった。


袁術が撤退して陰陵いんりょうを保つと

改めて軍勢を糾合して陳瑀を攻撃し

陳瑀は恐れて逃げ出し下邳へ帰った」


かくの如くであればすなわち、

陳温は袁術に殺されておらず、

本伝と同様ではない。




(注釈)

これくらい平易な文だったら

訳本も辞書も見ずに

訳せるようになりました。やったぜ!!


陳温は他の伝を参照する限りでは

はっきり袁紹・曹操派閥です。


袁術が揚州を手に入れる途上で、

敵対する袁紹の息がかかった

行政の長を斃した、というのが

本伝の流れなんでしょうけど、


英雄記では、

彼は「病死した」と書かれています。



陳瑀ちんうは、呂布伝に登場した

陳珪・陳登親子と同族です。


陳温は汝南の人なので

徐州の陳氏の一員ではなさそうですが、


後漢書では、陳温も

陳珪や陳瑀と同族と解釈されてて、

徐州の陳氏が袁術を拒む

理由付けに使われてるとか?


陳陳陳陳言ってて何が何やら。

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