註二十二、さらば陳宮
註22.
魚氏典略曰:陳宮字公臺,東郡人也。剛直烈壯,少與海內知名之士皆相連結。及天下亂,始隨太祖,後自疑,乃從呂布,為布畫策,布每不從其計。下邳敗,軍士執布及宮,太祖皆見之,與語平生,故布有求活之言。太祖謂宮曰:「公臺,卿平常自謂智計有餘,今竟何如?」宮顧指布曰:「但坐此人不從宮言,以至於此。若其見從,亦未必為禽也。」太祖笑曰:「今日之事當云何?」宮曰:「為臣不忠,為子不孝,死自分也。」太祖曰:「卿如是,柰卿老母何?」宮曰:「宮聞將以孝治天下者不害人之親,老母之存否,在明公也。」太祖曰:「若卿妻子何?」宮曰:「宮聞將施仁政於天下者不絕人之祀,妻子之存否,亦在明公也。」太祖未復言。宮曰:「請出就戮,以明軍法。」遂趨出,不可止。太祖泣而送之,宮不還顧。宮死後,太祖待其家皆厚於初。
(訳)
魚氏の典略にいう、
陳宮はあざなを公台といい、
東郡の人である。
剛直にして壮烈な人柄で、
若き頃から海内で知られた名士らと
皆互いに誼を結んでいた。
天下が乱れるに及んで、
初めは太祖に付き従ったが
後に自ら猜疑し、呂布に従った。
陳宮は呂布のために策を書いたが、
呂布はいつもその計略に従わなかった。
下邳の城が敗れると、
軍士は呂布と陳宮を捕縛し
太祖は彼ら全員を見て
平生の事を共に語り合った。
そのため、呂布からは
命乞いの発言があった。
太祖は陳宮に謂った。
「公台よ、君は常日頃から
自分には有り余る智計があると
そう謂っておったな。
それが今、どうしてこうなったのだ?」
陳宮は振り返り、
呂布のことを指差して述べた。
「ただ、そこに座っている人が
私の言葉に従わなかったからだ。
もし私の意見に従っていれば、
きっと捕虜にはならなかったろうに」
太祖は笑って述べた。
「今日、こうした事態に当たり
どうしようと云うのかね?」
陳宮は言った。
「臣としては不忠であり、
子としては不孝であるから
自ずと、死ぬのが相応というものだ」
太祖が言った。
「君はそれでいいかもしれんが
君の老母の事はどうするのかね?」
陳宮は言った。
「私は、孝を以て天下を治める者は
人の親を害さないと聞いている。
老母の生死は公の手中にあり、私にはない」
太祖は言った。
「君の妻子はどうするのだ」
陳宮は言った。
「私は天下に仁政を施す者は、
人の祭祀を絶やさぬと聞いている。
妻子の生死もまた、明公の手中にあるのだ」
太祖は、それ以上言えなかった。
陳宮が言った。
「表に出して死罪に処し、
軍法を明らかにしてくれ」
かくて、陳宮は走り出ていき
止める事はできなかった。
太祖は泣いて彼を見送ったが
陳宮が振り返ることはなかった。
陳宮の死後、
太祖は陳宮の家族全員を
当初より厚く待遇した。
(註釈)
スリキンの影響で、
陳宮はタメ口で訳しちゃいました。
蒼天航路の陳宮は、曹操に
「最後に問答をしかけてくれたことを
深甚に思う!」って言ってました。
この作品でこの場面に触れるの
これで三度目になりますが
陳宮の引き際は潔すぎますね。
命乞いする呂布と
一切しない陳宮で
対比させてるんでしょうか。
陳宮が呂布を指差して
「そこに座ってる人」
っていうのが、なんか可愛い。
范曄は、陳宮のセリフの部分は
ほとんど全部採用しときながら
「曹操が陳宮の家族の面倒を見た」
の部分だけ削ってるの、悪意を感じますね。
資治通鑑(通史)では、
後漢書を参考にしつつ
このくだりが復活してます。