十四、再び袁術と結ぶ
三国志14.
建安三年,布復叛為術,遣高順攻劉備於沛,破之。太祖遣夏侯惇救備,為順所敗。太祖自征布,至其城下,遺布書,為陳禍福。布欲降,陳宮等自以負罪深,沮其計。布遣人求救於術,自將千餘騎出戰,敗走,還保城,不敢出。術亦不能救。
(訳)
建安三年(198)
呂布は再び叛き、袁術のために
高順を遣って沛の劉備を攻め
これを破った。
太祖は夏侯惇を遣って劉備を救援したが
高順によって敗れた。
太祖は自ら呂布の征伐に赴き
その城下に至ると、呂布に書状を遣わし
禍福(曹操に降るメリットと
袁術の味方をするデメリット)
について陳述した。
呂布は降伏しようとしたが、陳宮らは
自身が深い罪を負っている事から
その計画を阻んだ。
呂布は人を遣って袁術に救援を求め
自ら千余騎を率いて戦に出た。
敗走して引き返し、
城を守って敢えて出ようとしなかった。
袁術の方でもまた
呂布を救援できなかった。
(註釈)
一旦ボコボコにしておきながら
結局袁術の味方するんかい!?
命と引き換えにしてでも
袁術を捕えます!とか言ってたくせに。
まぁあれは本文じゃなくて
英雄記の記述でしたけど……
先主伝の引く「英雄記」によると、
劉備の軍は呂布に襲撃された後
広陵で飢餓に陥ったため
呂布に降伏したとあります。
当時の呂布が袁術に味方した理由も
お米くれる事が条件でした。
陶謙が陳登を典農校尉に命じて
農業奨励させたとあるので
徐州は慢性的なコメ不足。
そこで曹操が追い打ちをかけるような
虐殺を行ったために、
この頃は恐らく大飢饉です。
英雄記の袁術は
潤沢な兵糧をエサにして
呂布を手駒のように動かしたんですね。
先主伝本文では
「劉備は小沛に戻って
一万ほどの兵を集めたため
恐れた呂布から攻撃された」とあります。
袁術との戦いに入る前には、
呂布の軍勢は千余りとか三千とか
書かれてるので、
劉備の兵が一万まで増えたら
確かにヤバイと思うかもしれませんね。
「英雄記」は、呂布が兵に金を渡して
河内まで馬を買わせに行かせたら
劉備の兵に奪われた……と書かれてます。
「資治通鑑」では、高順と張遼が
劉備を攻撃し、劉備の妻子は
捕まってしまった……とあります。
また、袁渙伝によると
呂布は袁渙に命じて、劉備の
誹謗中傷文を書かせようとしてます。
再三に渡る要求を袁渙は断り
痺れを切らした呂布は
「書かないと殺すぞ」と脅すのですが
「人に恥をかかせるのは
罵詈雑言じゃなくて、徳です。
劉備さんが大物なら気にしないし、
劉備さんが小物なら反撃されます。
そうなれば、恥をかくのはこちらです。
私は以前、劉備さんに仕えてましたが
今は呂布さんに仕えてます。
私にこうした要求をされるって事は
後になって呂布さんと敵対したときに
あなたを誹謗してもいいって事ですよね?」
とやり返されたため、
取り止めたとあります。
うーん、呂布、いいところがない。
呂布が先に手を出したのか
劉備が先に手を出したのか
定かではありませんが
とにかく、高順に破られた劉備は
曹操に助けを求めます。
曹操は夏侯惇に救援させますが
高順に破られてしまいます。
高順は英雄記にしか
出てこないかと思いきや
本文でもちゃんと活躍していますね。
曹操は夏侯惇がやられたため
(高順は強い)
とうとう自らやって来て
呂布に降伏を申し入れます。
呂布は降伏を選ぼうとしますが、
一度曹操を裏切っている陳宮が
猛反対したために果たせず
滅亡へのカウントダウンが始まります。
後漢書15.
時太山臧霸等攻破莒城,許布財幣以相結,而未及送,布乃自往求之。其督將高順諫止曰:
「將軍威名宣播,遠近所畏,何求不得,而自行求賂。萬一不剋,豈不損邪?」布不從。既至莒,霸等不測往意,固守拒之,無獲而還。順為人清白有威嚴,少言辭,將眾整齊,每戰必剋。布性決易,所為無常。順每諫曰:「將軍舉動,不肯詳思,忽有失得,動輒言誤。誤事豈可數乎?」布知其忠而不能從。
(訳)
時に、泰山の臧覇らが莒の城を攻め破り、
財幣を以て呂布と互いに結ぶ事を承知したが
(財が)送られて来ぬうちに
呂布は自ら行きてこれを求めた。
呂布の督将の高順が諌めて言った。
「将軍の威名は広く伝播して
遠近の者が畏怖しておりますのに、
何故求めるものが得られないからといって
自ら赴いて貨賂を求めようとなさるのです?
万一勝てなければ、
名声を損なわずにはおれませんぞ?」
呂布は高順の諫言に従わなかった。
呂布が莒へ至ったのち
臧覇らは呂布がやって来た真意を測れず
固く守って防いだため、
呂布は何も得られずに引き返した。
高順の人となりは清廉潔白で威厳があり
口数少なく、将兵はよく整えられており
戦うたびに必ず勝利した。
呂布は素より安易に物事を決断して
行動に一貫性が無かった。
高順はいつも呂布を諌めて言っていた。
「将軍は行動を起こされる時
よく考えずに忽ちに失敗を犯して
動かれるたびに間違ったことを言います。
これまでの失敗を
どうして数え切れますか?」
呂布は高順の忠義を認めてはいたが、
彼の言動に従う事は出来なかった。
(註釈)
後漢書きつい。
とりあえず、
英雄記がやたら高順を推してるので
范曄が本文に採用した流れでしょうか。
高順は郝萌の叛乱の時にも
迅速に事態を処理してて有能だし
呂布にオカンみたいなアドバイスくれる
貴重な存在っぽいのですが、
当の呂布に疎んじられてたようです。
無節操で無策な呂布に
忠義一徹の高順、勿体ないなぁ……
(と思わせるのが英雄記の狙いか?)
張遼や臧覇は曹操に降って活躍するのに
彼は殺されてしまいます。
臧覇に敗れた莒の蕭建は
ここでは名前すら出てきませんが、
英雄記が適当に名前を
でっち上げてるまでありそう。