註十四、袁術今どんな気持ち!? ねえねえ、今どんな気持ち!?
註14.
英雄記曰:布後又與暹、奉二軍向壽春,水陸並進,所過虜略。到鍾離,大獲而還。旣渡淮北,留書與術曰:「足下恃軍彊盛,常言猛將武士,欲相吞滅,每抑止之耳!布雖無勇,虎步淮南,一時之間,足下鼠竄壽春,無出頭者。猛將武士,為悉何在?足下喜為大言以誣天下,天下之人安可盡誣?古者兵交,使在其間,造策者非布先唱也。相去不遠,可復相聞。」布渡畢,術自將步騎五千揚兵淮上,布騎皆於水北大咍笑之而還。時有東海蕭建為琅邪相,治莒,保城自守,不與布通。布與建書曰:「天下舉兵,本以誅董卓爾。布殺卓,來詣關東,欲求兵西迎大駕,光復洛京,諸將自還相攻,莫肯念國。布,五原人也,去徐州五千餘里,乃在天西北角,今不來共爭天東南之地。莒與下邳相去不遠,宜當共通。君如自遂以為郡郡作帝,縣縣自王也!昔樂毅攻齊,呼吸下齊七十餘城,唯莒、即墨二城不下,所以然者,中有田單故也。布雖非樂毅,君亦非田單,可取布書與智者詳共議之。」建得書,即遣主簿齎牋上禮,貢良馬五匹。建尋為臧霸所襲破,得建資實。布聞之,自將步騎向莒。高順諫曰:「將軍躬殺董卓,威震夷狄,端坐顧盼,遠近自然畏服,不宜輕自出軍;如或不捷,損名非小。」布不從。霸畏布鈔暴,果登城拒守。布不能拔,引還下邳。霸後復與布和。
(訳)
英雄記にいう、
呂布はその後、また韓暹、楊奉の
二軍とともに寿春(袁術の根拠地)へ向かい
水陸両面から進軍して
通過した場所で略奪を働いた。
鐘離に到り、
大いに(戦利品を)獲得して帰還した。
淮水の北へ渡ったのち、
袁術に書留をして述べた。
「足下は軍の強勢を恃み
猛将・武士が敵を呑み込み
掃滅しようとするたびに抑止していると
いつもそう言っていたな!!
私には武勇が無いと雖も
淮南を虎のように闊歩する一時の間、
足下は寿春に鼠竄して頭を出す者はおらぬ。
(足下の言っていた)
猛将・武士とやらは一体
雁首揃えて、何処に行ってしまったのだ?
足下は大言して天下を欺く事を喜ぶが、
天下の人々がどうして悉く欺かれようか?
古の者は兵を交えど、
その間に使者が在ったというぞ。
策文を作った者は私では無く、
先んじて唱えただけに過ぎない。
互いにそう遠くはないのだから
また文書を交わそうではないか」
呂布が淮水を渡り終えると、
袁術は自ら歩兵騎兵五千を率いて
淮水の畔へ兵を揚げたが、
呂布の騎兵はみな水北にあり、
袁術の兵を大いに嘲笑って還った。
時に東海には瑯琊の相の蕭建がおり、
莒を治所とし、自ら城を固守して
呂布と誼を通じなかった。
呂布は蕭建に書を遣って述べた。
「天下の人々が兵を挙げたのは、
本来董卓を誅するためだった。
私は董卓を殺して関東へ向かい、
兵を求めて西方に天子をお迎えし
洛陽の都を光復しようとしたが
諸将は自ずから還って互いに攻め合い
国を思う者はなかった。
私は五原の人間であり、
(五原は)徐州から五千里余り離れて
すなわち、天の西北の方角にある。
今、天の東南の地をともに争いに
来たわけでは無いのだ。
莒と下邳は互いに遠くないのだから
共通するのが宜しかろう。
君がもし自らの意思を遂げたならば
郡々は帝を為し、
県々は自ら王ということになる。
昔、楽毅が斉を攻めた時
ひと呼吸のうちに七十余の城を下したが
ただ莒、即墨の二城だけが下らなかった。
その理由は、中に田単が居たからである。
私は楽毅ではないが、君もまた田単ではない。
私の書状を受け取って、智者とともに
詳細にこの事を議するべきだろう」
蕭建は呂布の書状を得て
即座に主簿を遣って返書を齎させ
上礼を執って、良馬五匹を献上した。
蕭建はその後臧覇の襲撃によって破られ、
(臧覇は)蕭建の物資を得た。
呂布はこの事を聞くと、
自ら歩兵・騎兵を率いて莒へと向かった。
高順が呂布を諌めて述べた。
「将軍は躬ら董卓を殺し、
その威風は夷狄を震撼させしめ
端坐されて睥睨するだけで
遠近の者は自然に畏れて服従致しましょう、
軽々しく自ら兵を
出されるべきではありません。
或いは勝利を得られなかった場合、
少なからず名声を損ないますぞ」
呂布は高順の諫言に従わなかった。
臧覇は呂布の掠奪と暴虐を畏れ、
果たせるかな城壁に登りて防衛した。
呂布は城を抜く事が出来ず、
下邳へと引き返していった。
臧覇はその後ふたたび呂布と講和した。
(註釈)
呂布、袁術にビビってた割に
勝った途端にディスり始めます。
袁術も袁術で、常日頃から
自分の軍隊の強さを
ひけらかしてた感じに書かれてて
どっちもどっちですね。
袁術
「ククク……我が軍隊は精鋭揃い、
如何なる時も敵を殲滅し
その血を啜る事を所望しておる……!!
朕の抑えが無ければ今頃
貴様は屍を大地に晒しておろう……
クク……命拾いしたな……」
的な感じに聞こえるww
そしてまた高順が出てきて
呂布に的確な助言をしています。
「英雄記」は呂布と袁術を
纏めてsageつつ、
高順はageていく魂胆なのかしら。
臧覇はあざなを宣高といい、
泰山に割拠する不気味な群雄であります。
黄巾の乱が起こった時(184年)
陶謙に属して戦功を立てましたが、
その後徐州で独立勢力となります。
153頁で、呂布が
「袁術が泰山の諸将と合従して……」
って言ってますが、その
《《泰山の諸将》》が臧覇のグループです。
臧覇はこのとき呂布と争ったのち
和睦しましたが、
呂布が滅ぶと曹操に降り、
曹叡の代まで活躍するという
息の長い名将です。
三国志演義では呂布配下の八健将の1人、
その中でもナンバー2として出てきます。
(ナンバー1は張遼)
瑯琊の蕭建はここにしか出てこないので
覚える必要はないでしょう。
しかし呂布は関羽とかの10倍くらい
しゃべってますね。
キャラが立ってます。