註十三、韓暹、楊奉、誘引計
註13.
九州春秋載布與暹、奉書曰:「二將軍拔大駕來東,有元功於國,當書勳竹帛,萬世不朽。今袁術造逆,當共誅討,奈何與賊臣還共伐布?布有殺董卓之功,與二將軍俱為功臣,可因今共擊破術,建功於天下,此時不可失也。」暹、奉得書,即迴計從布。布進軍,去勳等營百步,暹、奉兵同時並發,斬十將首,殺傷墮水死者不可勝數。
(訳)
九州春秋に載録されている
呂布が韓暹、楊奉に宛てた書状にいう、
「二将軍は大駕を拔して東へ来らせ
国家に於ける大功が有り
竹帛に勲を書き残され
萬世を経て不朽の物とするに当たります。
今袁術が造反して、共同して誅するべきが
どうして賊に与してその臣となり
還りて共に私を伐とうとなさるのですか?
私には董卓を殺した功績があり、
二将軍と同様に朝廷の功臣であります。
今こそ力を合わせて袁術を撃ち破り
天下に功を建てるべきです。
この機を逃してはなりません」
韓暹、楊奉は呂布の書状を得て
すぐに計画を変更して呂布に従った。
呂布は進軍して
張勲らの陣営から百歩の所まで至ると
韓暹、楊奉の兵は同時に進発し
十人の将の首を切った。
殺傷され、水没して死んだ者は
数えきれなかった。
(註釈)
呂布が自分を売り込む時、大抵は
董卓を討った事を宣伝文句に使いますよね。
「袁術を倒したら軍需品全部あげる♪」
という口約束らしきものは
ここに載っていないので
あの部分だけ范曄の創作でしょうか。
ちなみに後漢書では、
橋蕤は呂布に捕まった筈なのに
そのあとしれっと
袁術のもとに帰ってきています。
そのことに対して
一行も触れていないので、
話の整合性以前に、 范曄は
橋蕤に1ミリも興味ないんだろうなー
とか思ってしまいます。
ワシも興味ないです(ないんかい